推しと私⑨ 初めての推しの誕生日、そして3回目の誕生日

バンタン
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2022年3月。

初めての推しの誕生日期間を迎えた。

Twitterには煌びやかなセンイル(誕生日)広告が流れ、

世界各国の人が様々な言葉でユンギの誕生日を祝っている。

きっと幸せな気持ちになるんだろうと思っていたんだけど、思ってもいない感情が去来した。

 

「こんなに世界中に愛されている人にとって、私のちっぽけな愛なんて何の意味もないのでは?」

 

世界のBTSのメンバーの誕生日。

広い世界には、ユンギのためにお金も時間も使える人なんて山ほどいる。

その金額も手間もかかる時間も、一般人には想像もつかないほど。

毎日毎日夥しい数溢れるお祝いの言葉と画像。

 

世界の片隅で彼を愛する自分の無力さを感じてしまった。

 

 

そんな時、このブログは私の助けになってくれた。

 

私は「Happy SUGA Day」と銘打って、3月の間は毎日彼の記事を書くことにした。

1年目のこの年のテーマは「毎年ユンギの曲を語る」。

 

世界の片隅で、自分の曲について1ヶ月語っているオタクがいたら喜んでくれるかな、と思って始めた。

 

以下当時の記事から引用

「3月9日のユンギの誕生日に向けて、私にできることはなんだろうと考えた結果、彼の曲を少しでも多くの方に知ってもらうために私の言葉で彼の曲を掘ってみようと思いました。

 とはいえ、彼が関わっている曲は沢山ありすぎるので、SUGA名義のソロ曲とAgustDの曲に絞りました。

 この曲はどんな雰囲気の曲で、曲調に対して歌詞はこうで、ユンギのメッセージは普段の彼の言動から私はこう考えて…みたいなことをつらつら書いていこうと思います。よければお付き合いいただけると嬉しいです。

 なお、私は韓国語がわからないため、和訳は都度別の方からお借りして記載します。」

 

1曲目は当時の彼の代表曲といえばこれ、の「大吹打」。

初めての彼の誕生日には、

私の人生を変えた曲、「The Last」について書いた。

今見ても、愚かなほど真っ直ぐのラブレターを書くしかできなかった。

今もこういうところは変わっていないけど、

この時は今よりもっと裸一貫で、どこも庇うことなく言葉を書いていた。

今自分でこの頃書いていたものを見ると、我ながら危ういと思うし、

嫌な気持ちになる人もいると思うけど、

ああ、この時はこれが全力だったんだよなと美しさを感じたりもする。

 

やっぱり私は、私の書くものが世界一好きなんだ。

その根底に、ユンギへの愛があるから。

彼が私の口を、目を開けさせてくれたから。

私は私から生まれるものを好きになれた。

 

ちっぽけな愛だったけど、当時の私はできる限りの方法で祝った。

その時の感想をこんな風に当時書いていた。

 

「私にとって人生で初めての推しのセンイル。

 このブログで毎日投稿をしようと決めて毎日記事を用意したり、和訳を手打ちしたり、私なりに一生懸命準備したし、正直先月から気が気じゃなかった。

 

 そして、実は、疲れてしまってもいた。

 

 毎日Twitterのタイムラインに流れてくる輝くように豪華なセンイル広告、企画、飾り付け、動画、画像、絵…。

 「ああ、彼は遠い人なんだ」と毎日思い知らされてしまった。

 おかしい。愛する人の誕生日なのに。もっと楽しみたい。そんなこと気にせず楽しみたい。スーパーセレブで雲の上の人なのは元々わかっていたことじゃないか。

 そう。そうなんだけど。

  

 SNSのいいところは他の人がどんな推し方をしているのかが見えるところだ。

 そして、悪いところも他の人がどんな推し方をしているか見えるところだ。

 つい比べて私はそこまでやれていないとか、そこまで行けないとか、そこまでの影響力がないとか、余計なことを考えてしまう。

 上手い付き合い方が出来ている人も羨ましくなってしまう。

 推しのセンイルだからといって特別なことは何もしなくて、ただ純粋に楽しむ人。当日とりあえずケーキを食べたり飾り付けて楽しむ人。誰の推し方も正しいし、自分が楽しいことが一番だ。誰に何を言われる筋合いもない。

 

 毎日彼の曲について投稿すると決めたのは私だし、いい企画だとも思うし、広がり方もちょうどよくて最高だ。

 でも、私は見合うだけの何かがある文をちゃんと書けているだろうか?

 彼の創作の苦しみに見合う言葉をかけているだろうか?

 答えはNOだ。書けていない。

 書けるはずがない。彼の作品に見合うものなんて。

 実は迷走していた。

 

 普段はこういう相談をされることすらある。

 「誰も間違っていないじゃない。推し方はそれぞれが心地よいのが唯一の正解よ」なんて偉そうに答えたりする。

 でも私なんてこんなもんだよ。

 

 どうしよう。どうしよう。楽しめていない。大好きな人の誕生日なのに。心から祝いたいのに。いっぱい準備したのに。どうしよう。皆楽しそうにお祝いムードで、幸せに満ちていて、でも、そう言う気持ちになれない。Twitterを見るのも苦しい。何よりユンギに申し訳ない。

 その思いを友達にぶつけてしまって、愛のある言葉をいっぱいもらえて、少し気持ちは落ち着いた。

 でも、焦りは消えない。

 その時だった。

 「ピコン」と通知音がして

 彼が来てくれた。

 

 誕生日は明日だけどコンサートのリハーサルがあるから1日早くきたとVLIVEをしてくれたユンギ。

 ハッピーバースデーカチューシャをつけて、可愛い猫の形のケーキを掲げ、飾り付けられた部屋でゆったり流れる彼の時間が画面を通して流れてきた。

 ああ、この人が好きだなあ。

 別にニコニコ笑ってるわけじゃないけど、彼の暖かで柔らかで全てを受け止めてくれる大きさ。

 「大丈夫だよ」って言われた気がした。

 現金なものだ。それですっかり大丈夫になってしまった。

 

 私の文章が拙いことも、恥ずかしいことも、楽しめなくて申し訳ないことも、なんて小さなことだったんだろう。こんなに素敵な人が世の中に生まれてきてくれたんだから、それ以外のことなんて本当に些細なことだったんだ。

 私は韓国語ができないのでリアルタイムで彼の言葉はわからない。でも、暖かさを纏って話す彼の心地よい声を聞いて、大好きな姿を見て、もう、本当に、何もかも大丈夫になった。」

 

昨晩、日付が変わる時に2023年のユンギのセンイルウィバスライブを見ていた。

その時に、突然気がついた。

 

私は、このブログでもしつこいほどに、自己洗脳のように書いてきたこと。

私は、こじつけレベルでどんなことでも「ユンギのおかげで」って思っていた。

なんだか、「ユンギのおかげで」って書いていれば、許されるような気がしていた。

私の未熟さも、弱さも、ユンギのおかげで勝ち取った命で練習している途中だからと、

ギリギリのところで自分に責任を持ってきていない感じというか。

成果も結果も、「ユンギのおかげ」っていうことで、全力で受け取ることを怖がっていた。

 

でも、私、今日までの色々を自分の力でやってきたんだよね。

ユンギがくれた力だったとしても自分の力なんだよね。

それに突然気がついた。

 

「私が何をしたとしても、できたとしても、彼のおかげだと思わないと」

「私はもともと1人では何もできない人間なんだから」

という種類の逃げ。

 

私は私の色んなことをあまさずもっと受け止めてあげていい。

彼というフィルターを通さず、「私」として受け取っていい。

 

ここまで来るのに辛いことも、悲しいこともあった。

乗り越えなきゃいけないこともあった。努力していなかった時なんてなかった。

それができたのはあなたがいてくれたからだけど、

「私」が頑張ってきたことを忘れていたような気がする。

 

 

自分の人生に責任を持つってことは、

どれだけ大切な人でも、どれだけ上に置きたい人でも、

誰も上に置かず、丁寧に丁寧に自分のことを見つめて、叶えていくことなのかもしれない。

 

そんなことを考えていたら0時を迎えた。

 

ああ、でも、やっぱり私はあなたに感謝するのは止められない。

ありがとう。

生きていてくれて。

あなたでいてくれて。

音楽を続けてくれて。

 

私も私を幸せにすることを、これから1年はもっと丁寧に見つめていくね。

おめでとう。愛しています。

私が唯一あなたに約束できることは、私は私を幸せにする。

あなたにもらった命を大切にするねってこと。

 

私の世界は私が作っている。

ユンギではなく、私が作っている。

 

大切な推しの誕生日に、ひとつ階段を登ったような感覚がした。

ここからは、

今の彼へのラブレターを書こうと思う。

ユンギへ

寒くないですか?

私はあなたに救われた命で今は本当に楽しく生きています。

私なりに、精一杯できることを頑張っています。

 

あなたがあまりにも愛の人だから、

私も愛を増やすには、循環させるにはどうしたらいいかを考えるようになりました。

あなたは私のロールモデルであり、血液であり、

私の魂の深いところでいつでも応援してくれる唯一の人です。

たったひとつの出会いが人生を変えてくれることを、誰よりも感じているよ。

伝えていくよ。

 

私に愛という言葉を教えてくれてありがとう。

人生の目標を与えてくれてありがとう。

簡単には手が届かない遠い人でいてくれてありがとう。

私は言い訳ができないくらいもっともっと高く飛ぶので、待っていてください。

 

あなたが美味しいものを食べて、

暖かいところで、優しい人たちと一緒にいますように。

 

いつでも愛しています。

윤기에게

 

춥지 않아요?

나는 윤기에게 구원받은 생명으로 지금은 정말 즐겁게 살고 있습니다.

제 나름대로 힘껏 할 수 있는 일을 열심히 하고 있습니다.

 

윤기이 너무나도 사랑하는 사람이니까,

저도 사랑을 늘리려면 순환시키려면 어떻게 해야 할지 생각하게 되었습니다.

윤기은 나의 롤모델이고, 혈액이고,

내 영혼 깊은 곳에서 언제든지 응원해주는 유일한 사람입니다.

단 하나의 만남이 인생을 바꿔준다는 것을 누구보다도 느끼고 있어.

전해갈게.

 

나에게 사랑이라는 말을 가르쳐 줘서 고마워.

인생의 목표를 줘서 고마워.

쉽게 손이 닿지 않는 먼 사람으로 있어줘서 고마워.

저는 변명을 할 수 없을 정도로 더 높이 날아갈 테니 기다려 주세요.

 

윤기이 맛있는것을 먹고,

따뜻한 곳에서, 상냥한 사람들과 함께 하길.

 

고마워요.

살아 있어줘서.

당신이 있어줘서.

음악을 계속 해줘서.

나도 나를 행복하게 하는 것을 앞으로 1년은 더 정성스럽게 바라볼게.

축하해.사랑하고 있어요。

내가 유일하게 윤기에게 약속할 수 있는 것은 나를 행복하게 해.

윤기에게 받은 목숨을 소중히 여긴다는 거.

 

언제나 사랑합니다.

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