私は4年近く潜在意識をガチっている。
でも、ずっと勘違いしていたこと、
多くの人が勘違いしているポイントに
今朝気付いたから書いておきたい。
それは、
「潜在意識を書き換えるのが必要」
と言いつつも、
『とはいえそれだけじゃダメだよね』
という自分のエゴの声を採用し続けていたということ。
エゴとは思考のこと。
これまで教わった常識・価値観によって
「過去」から流れてくる「押し付け」。
つまり、
「幸せになりたいならどう幸せになりたいか決める」
という言葉を聞いた時に、
たとえば大好きな人と幸せになりたいとする。
すると、
「私はあの人と結婚して幸せなお嫁さんになるんだ」
と決めたら、
「決まったこととして」
そこに向かって「じゃあ何をしようか」
と考えるだろう。
「結婚したらできなくなるかもしれないから
今のうちにたくさん一人旅をしよう」
でもいいし、
「友達とたくさんご飯に行こう」
でもいいし、
「それまでに1冊本を書き上げよう」
とか、なんでもいい。
これは、
「今日の夜はお寿司を食べよう」と
決めた時と全く同じ心の動きだ。
「夜美味しく食べられるように昼食は控えめにしよう」
「お寿司だから香水は控えめにしよう」
「髪型はどうしようか」
「メイクはどうしようか服はどうしようか」
と同じこと。
「今日お寿司を食べること」と
「大好きな人と結婚すること」
に難易度の違いはない。
潜在意識界隈で散々言われることだ。
ただここに落とし穴があって。
「とはいえそれだけで叶うわけない」
から、
「もっと努力しなければ」
という方向になってしまう。
なんなら、
「こんなことを私が望むのは分不相応だから、望むことをやめよう」
にすらなったりする。
私が自分で人体実験しながら
色んな人たちを見てきて、
散々色々やってきて
たどり着いたのは、
叶うかどうかは自己信頼と純度の差。
まずは自己信頼。自愛。
そして純度を高めること。
子どもみたいに
「私が望むんだから手に入るのは当然」
「ていうかもうあるし」
「あるのにないふりしているのは私だし」
という冗談みたいな世界をどれだけ信じられるか。
メンターである
小田桐あさぎさんが何度も何度も言ってくれているけど、
結局信じきれていなかった
「願いを叶えてくれるのは神か周りの人」
だから
「それがあるのが当然の私」なら
どんな行動を選んで、今日何をするか。
のみ。
というバカみたいな世界を、
これまで教わってきたのとは
真逆な世界を採用すると決めきること。
この「決めきる」のが大事。
スケベ心を出して
「願って決めればいいんだね。わかった。
じゃあ、今日から何を努力すれば?」
これは決めてない。
決めたらもう決定なんだから、
そこに向かってすることは特にない。
毎日の幸せの純度を上げるだけ。
今自分がひっかかっている、置き去りにしている
感情に気がついて、ひとつずつ
「私はこれが足りないと勘違いしていたんだ〜!!」
と気づくだけ。
「叶えるために自分で努力しないといけないから
今日も大好きな人に選ばれるために必死でダイエットして
モテる女の子ってどんな人か研究して
やりたくないけど仕事も家事も頑張って
苦手だけど家も綺麗にしてお金の管理も頑張る」
みたいなおかしなことになっていないか注意深く見る。
未来の旦那様がベッドでぐうたらしている
私をかわいいと思ってくれるから、
私はつやつやの肌で
心地いいかわいいパジャマで
安心して幸せを噛み締めていればいい。
という方が先なのに。
つまりやることは
健康的で美味しいもの食べて
心身ともに健康で幸せで
自分がかわいいと思う自分でいて
気持ちいいパジャマを買いに行くことだ(笑)
このように、
「〇〇が欲しいから〇〇をがんばる」
のではなく、
「〇〇が欲しいから〇〇な時私がするであろうことを当たり前にする」
が先。
その結果努力したくなればすればいい。
私の場合は韓国語に関しては
勉強ゼロでペラペラになると
どうしても思えないので
今一生懸命勉強しているけど、
勉強して積み上がっていくのが楽しすぎて、
ああ、この幸せのために
勉強したかったんだなと気付いた。
「韓国語ができるようになりたいから」
ではなく、
まさかの「積み上がっていく幸せを思い出すため」に
韓国語が必要だったのだ。
やっぱり時間は未来から過去に流れている。
どんどん叶えている人は、
このように「潜在意識が違う」だけ。


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