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翌朝、麻酔の管が抜かれて帝王切開後最初の難関はトイレに行くことだとネットで事前知識を得ていた。
しかし私は痛みよりも、足の痺れよりも、尿管がとにかく嫌なので何が何でも歩いてやると思っていた。
実際、意外と簡単に歩けた。フラフラはするし痛いけど、想像していたほど痛くない。
手すりにつかまりながら普段の5倍くらいの時間はかかったがトイレまで歩いた私に、看護師さんは
「え!?すごい!!痛みに強いんですか?みんなもっとかかりますよ!!」と賞賛してくれた。
ともあれ尿管は抜かれた。やれやれ。
しかし、ここからが怒涛の育児スタートだった。
昼食前に息子が連れてこられ、「それではお願いしまーす」と置いて行かれた。
「え???!!!!こちとらついさっき必死の思いでトイレまで歩いたばかりでこの昼で36時間ぶりにちゃんとしたご飯を食べるつい昨日腹を切った人間なんですけど???!!!赤ちゃんを???今から????一人で????正気?????」と頭の中で叫んでいた。
が、無情にも看護師さんは「明日から相部屋に移動なので。これ、赤ちゃんがミルクを飲んだらいつどれくらい飲んだか書いてください。全ておっぱいが希望でしたら今日からでも母乳を出すマッサージも致しますから言ってくださいね」と事務的に言って行ってしまった。
おっぱい。忘れていた。
そういえば昨日息子を連れてきてくれた時に「おっぱい出るかなー」と乳首をマッサージしてくれ、少しだけ出たのを息子に吸わせてくれていたっけ。
初乳は免疫力を作るのにとても大切という話を聞いていたがこれかあなんてぼやぼや思っていたが、ぼやぼやしている場合ではない。
この病院は切迫早産で危険な状態の妊婦を受け入れてくれる地域のセーフティネット的なところで、私の状態ではここしか出産できる病院がなかったのだが、そもそもは母乳育児に力を入れている病院で、「母乳で育てたい!」という方が出産を希望することも多い場所だった。
口コミにも「一人目を出産した時の病院ではここまで教えてくれなかった」「母乳育児には絶対おすすめ。母乳で育てる方法を事細かに教えてくれる」とあった。
今まで気にしていなかったけどそうか、母乳と向き合う日が私にも来たのかと思った。
私は完全母乳で育ったが弟は完全ミルクだったこともあり、特に母乳育児に前向きではない。
むしろ、「母乳」が神聖視されすぎているように見えて、少し嫌悪感があったくらいだ。
「母像」「女性像」が神聖視されていると気持ち悪いと感じてしまうし、「おっぱいで育ってない子は病気になりやすい」みたいなことをハッキリ言う人には少し距離を取ってしまう。
あと、私は胸に触られることに嫌悪感があって、夫にすら触られたくなかったので果たして赤ちゃんとはいえ授乳できるのか。あの不快感がずっと襲ってきたら耐えられないんだけど、ということも実は不安だった。
加えて、私は強迫性障害やら鬱やらHSPやら色々あって疲れやすいし、体調を崩しやすい。体力の回復も遅い。
正直ここは根性でどうにかなるものじゃないと思っていた。
その自覚があるから完全ミルクにしてしまって夫と完全分業予定だったからどちらかというとミルク寄りの予定だった。
(ちなみに妊娠中飲んでいた鬱の薬は授乳中は飲めないので手術前日までに医師と相談して断薬していた)
しかしこの病院は母乳育児推進なこともあって、結果的に母乳育児について色々レクチャーしてもらえて良かった。
母乳のノウハウが強いということは、ミルクとの違いもわかっていて、ミルクをメインで飲ませた方がいい方への方向性も教えてくれるということだ。
たまに「何が何でも母乳!うちはミルクを置いてません!!」みたいな産院もあるらしいが(口コミで見ただけなので本当かよって感じだけど)それは本当におすすめしない。
結果的には私の余裕がなくて「病院がこういうルーティンだったからミルクの前に授乳しなければいけない」という強迫観念に取りつかれてしまったけど。
あの時ミルクのことも丁寧に教えてもらえていなければミルクを飲ませていいのかどうかすら半信半疑のまま育児をしていたかもしれない。
さて、自然分娩の方はどれだけ体力を消耗していようと、切った会陰が痛かろうと、出産当日から赤ちゃんと同室というのは聞いていたが、帝王切開後の想像以上にガタガタの体で、いちなり育児がスタートして私は完全にパニックになっていた。
だって今の体では赤ちゃんに何かあったとしても担いでナースステーションに駆け込むこともできない。
まあそのためにナースコールがあるんだけど。
産後の体に鞭打ってどんだけ痛くても競歩でトイレに行かなければいけない。
「母」のハードモードさにこれまで色んな人に色んなことを大目に見てもらって甘えてきた私は既に半泣きだった。
しかも息子は生まれた直後呼吸に問題があるかもしれないということで呼吸の状態を測る機械をつけられていたのだが、これが泣くたびピーピー鳴る。
ちょっと泣いてもピーピー。深夜でもピーピー。
呼吸が止まったら大変だから必要なんだけど、なかなか大変だった。
息子と相部屋になって可愛いと思う間もなく育児が始まり、看護師さんに教わりながら恐る恐るおむつを替え、着替えをし、泣くたび抱っこして時間になったらミルクをあげた。
大体45分間隔で泣いていたと思う。赤ちゃんってこんなにずっと泣いてるの?!と次はいつ泣くんだろうとビクビクしていた。
心配していた帝王切開の術後の痛みは、この日は座薬の痛み止めをもらい、経口の痛み止めも補助でもらっていたこともあってそれほどでもなかった。
生理痛の一番痛い時くらいだろうか。
痛みよりも赤ちゃんのお世話で手一杯で痛みどころではなかった。
それでも何とか夜はあけ、多分2時間くらいは寝れただろうか。
翌朝相部屋に移動した。
ここからあと4日間の入院期間で育児の基本をマスターしなくてはいけない。
昼には胸がガチガチに固く痛くなっていた。
その旨を看護師さんに伝えると「マッサージしますねー」と言ってしてくれた。
これがこの世のものとは思えないほど痛い。
痛みを伴って腫れあがって固くなっている箇所を力ずくで潰す感じで揉まれる。
しかも恐らく痛いところは母乳が詰まっているところなので、痛いところを重点的にほぐして流していく。
「こんなに痛いことしなきゃいけないんですか」と半べそで聞くと
「母乳が詰まるとそこが炎症を起こしてしまうんです。高熱が出たり、場合によっては切開も必要になります」と教えてくれた。
ということでどれだけ痛くてもしなくてはならないらしい。
この日から入院中毎日この悶絶マッサージは続けられた。
でもおかげで3日目には母乳が少しだけど出るようになっていた。
この頃には帝王切開の切った痕も痛くなっていたし、後陣痛もあった。
後陣痛がとにかく痛い。内臓が無理やり元に戻ろうとしている感じというか。
痛み止めを飲んでも痛くて寝れない。痛みが少し和らいだ隙に息子がおとなしければ昼夜問わず何とか寝ていた。
でも、陣痛の痛みに怯えていた私は「得体の知れない陣痛という痛みで死ぬほど苦しいならこの痛みはまだまし」だと思った。
「まあ、腹切った後はこれくらい痛いよね」という痛みなのだ。
後陣痛も「まあ、内臓が戻ろうとしてるんだよね」という痛み。
腹を切るという点では盲腸等の手術も術後大体これくらい痛いだろうし、後陣痛も生理痛の十倍くらいなので正気を失うほどの痛みではない。
私はこの時の痛みを「良識の範囲内の痛み」と言っていた。痛いけど、まあ、我慢できる。
帝王切開は痛い痛いと聞いて怯えていたが、痛いけどさほど辛くはなかった。ちなみに麻酔が抜けた日からナースステーションまで歩いていた。
ああ、そういえばこの頃夫が母に連絡して母が病院にやってきた。
息子を見て可愛い可愛いと言っていたが私にしてみればどんな神経で来られるのかわからなかった。
1時間ほどで母は帰り、私は息子の世話に戻った。
体は順調な経過をたどっていたし、息子の呼吸も2日間見て問題ないということで機械も外された。
しかしもう既に寝不足でボロボロだった。
こんなに寝れないのか。
相部屋なこともあって、息子が泣く「予備動作」の「ふっ、ふっ」という呼吸音が怖くて仕方がない。
この予備動作があると100%泣く。泣くと周りのお母さん方も起きてしまうだろうし、よその赤ちゃんも泣いてしまうこともある。
お互い様だから他の子が泣いてうちの子が泣くのは別に気にならないんだけど、うちが迷惑をかけていると思うと気になってしまう。
気になるから予備動作でぱっと目が覚める。
泣く。何で泣いてるのかはさっぱりわからない。
おむつなのか、ミルクなのか、暑いのか寒いのか、服の着心地が悪いのか、なんとなく泣いているのか。さっぱりわからない。
この経験を経て、「お母さんは赤ちゃんが何で泣いているのかわかるもの」だなんていう意見には全力でそんな簡単なもんじゃないと思う。
眠れず、体力の限界で、この小さな生き物を何とか殺さないように自分の命を削りながら必死に考えて全アンテナを張り巡らせてもわからないのだ。
その時間を何十、何百、何千時間繰り返してこっちも泣きながらやっと少し糸口がわかったものを「お母さんだからね」なんていう言葉で済まされるのは我慢ならない。
「母」というものは幻想だ。
昨日まで自分のことだけ考えていればよかった人が「はい、あなたが握る命ですよ。詳しいことはわからないしいつ飲んで排泄して寝るかわからないけど頑張ってね」と自分の首すら動かせない赤ん坊を渡される。
必死で色々試すけど、ほとんどのことはどうにもならなくて正解もわからない。「なんでこんなに苦労しなきゃいけないの」「自分のこともしたいよ」「ご飯を食べたい」「寝たい」と泣きながらいつ楽になるのか尋ねたら「大体1歳くらいかなあ」とか言われて絶望しながら「とりあえずこの子の面倒をそれなりにみられるようになる」だけだ。
そこには期待していたほど生き物としての本能はないし、かといって理屈も通用しない。
この時期のことを思い出すととにかくいつでも泣きそうで体調が悪くて仕方なかった。
話を戻そう。
まだ生まれたての身長50センチほどの赤ちゃんといえど泣く声は一人前だ。
泣いたらとにかく少しあやして、おむつを確認して、でも何が何だかわからないからとりあえずナースステーション横の授乳室に行く。
さっき来てからまだ1時間なんですけどとか看護師さんと話しながら、息子の様子を見てもらってアドバイスをもらいながら授乳と、足りなければミルクを与える。(私は基本的に授乳のたび与えていた)
私の乳首の形が悪いのか息子が吸うのが下手だったのか私の吸わせるのが下手だったのか、息子はなかなか乳首を吸ってくれなかったので補助乳首というシリコンのカバーのようなものを乳首にあてて授乳していた。
これがないと吸ってくれない。(以後2カ月ほどこの補助乳首にはお世話になる)
泣くと起き、補助乳首を当て、授乳を試み、大体うまくいかず授乳室に行ってミルクを作り、アドバイスを受けながら飲ませる。哺乳瓶を洗い、除菌し、補助乳首を除菌し、おむつを替え、寝かしつける。
所要時間は大体1時間。
これを1日10回以上行う。
勿論昼夜関係ない。
なぜかご飯を食べようとすると泣くため、温かいご飯はこの入院中から大体半年くらいまで食べれた記憶がない。
あまりにも大変で、授乳のたびボタンを開けるのすら億劫だった。
母乳塗れでTシャツをはだけさせながら授乳室に行って看護師さんに服を直されたこともあった。
授乳したくない。どうせ吸っても満足せず泣くんだから授乳をすっぱり諦めてしまいたい。
でも母乳は出る。
「問題なく出るうちは飲ませてあげた方が赤ちゃんにとってはいいんですよ。慣れたらミルクよりおっぱいの方が楽になるし」と言われたので何とか頑張っていた。
(ちなみに私は結局1歳で断乳したが、窒息の不安があって半年まで添い乳をしていなかったのもあってミルクより授乳の方が楽だと思ったことはない)
今となっては私に母乳育児は向いてなかったんだなあと思うけど、その時はそんなこと判断できる状態ではなかった。
とにかく必死に泣くたび対処して、看護師さんに聞いて、病院のルーティンになっているからとにかくミルクの前に一度授乳する。
私くらい「授乳」に恐怖を感じていた人はいるんだろうか。
聖母子像のような温かな気持ちで授乳できたことなんてない。
どうしよう、飲むだろうか。この角度でいいんだろうか、腕と肩が痛い、ずっと同じ姿勢だと辛い、あとずっと寝不足だからグラグラする、ああ、飲んだ後はミルクを足した方がいいだろうか、足すなら何mlだろう、あ、乳首を離した。なかなかくわえてくれない。ああ、どうしよう、もうこんなことして30分だ、眠い。5分でいいから休みたい…
授乳初期の脳内は大体2カ月くらいこんな感じだ。
看護師さんは寝不足と痛みから卑屈になっていた私にも本当に親身になって教えてくれた。
今後一ヶ月はミルクはこれくらいで様子を見て、おむつは、着替えは、お風呂は、クリームは、耳掃除は、今くらいの気温の衣類は、と本当に細かいことまで教えてくれた。
手術後5日の入院は赤ちゃんの世話の細部を全て教わるにはあまりにも短い。
思いつく限りのことを聞いて、できるだけのことはしたけどまだ痛む体と胸いっぱいの不安を抱えて退院の日を迎えた。
夫が迎えに来てくれて、お世話になった看護師さんたちに別れを告げる。
恐る恐るチャイルドシートに息子を乗せる。小さすぎて不安だ。
上からおくるみを掛け、そっと出発した。
夫婦二人での育児の始まりだった。
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