ありとあらゆるものをナメ、スカし倒しながら生きてきた私。
ついにそれがクソダサいし余裕ぶってるのがバレているかもしれないのと対峙するの巻。
私が入っている小田桐あさぎさんの講座で行われた
通称「親ワーク」。
正確には親ワークのシェア会。
すごかった。
みんな真摯に、自分の中の様々な否定の声とも対峙しながらも、親の愛を見つけていっていた。
親のことを多面的に見て、子供の頃の自分にはわからなかった面を知る。
その面から、親の愛を知る。
みんなで「でもこうじゃない?」
「こういう風にも見れるよね」
「そのおかげでこうだったじゃん」
っていう集合知で
「ほんとだ・・!」って愛を発掘していくのはものすごく美しい光景だった。
でもここで気付いたのだ。
スカし太郎である私は、「大丈夫っす、私、これで」みたいな
スカし倒した視点しかまだ持てていないことに。
私のリフレーム(視点を変えて見てみること)は、
「母に愛して欲しかった、私の幸せを一緒に喜んで欲しかった、
嫉妬しないで欲しかった、褒めて欲しかった」を
「母も愛されたかった、可哀想な人だった。
母も死ぬほど頑張っていたからそんな余裕はなかった。
誰よりも褒められたいし愛されたかったのは母だったんだ。
結局今でも母からの愛はわからないけど、
今私はコーチングをしていて、人を褒めたり寄り添ったりすることに喜びを見出しているから、
母は私の人生で役割はすでに終わっているんだと思う」
と伝えた。
なんだこれは。
と今思い返したら思う。
他のみんなは心を全裸にして見せてくれているのに、
こちとらまだコートを羽織って自分を守っている。
「取り乱しませんよ、これしきのことでは」ってドヤ顔をしている。
みんなのあまりにも大きな転換点を見ていながら、
スカして、ドヤって、
「私は平気です。もうそこは抜けているので」みたいな顔をしている。
そんなの、ワークも、講座も、参加者も、みんなをナメている。
この講座に人生をかけて、今涙している目の前の人も、私は全部ナメているんじゃないか。
自衛のことばかり考えて。
どう見えるか、どうしたらダサくないか、そればかり考えて。
自分の安全圏から出ようとしない。
ここまで来ているのに。
なんだ私クソダサいなと思った。
だから放り投げてみた。
ちょっと時間が余り、「どうしようか」となった瞬間に、
「私、母の愛がどうしてもわからない。みんなみたいにリフレームして愛を見つけたい」
と言ってみた。
「うち、多分デキ婚で、私ができたから両親は結婚しなくちゃいけなくて、
結婚してもちっともうまくいかなくて、仲良かったことなんてなくて、
私が14歳の時に離婚した。
『お前がいなければ私は自由だったのに』って言われて育って、
『産まなきゃ良かった』と言われたことも何度かある。
自分の存在が認められないんだ、私」
みんなは受け止めてくれた。
「あのね」
グループのうちの1人が言ってくれた。
「お母さんはどうしてイロちゃんを産んでくれたのかな。
産むのってめっちゃ痛いよね。
何度も病院にもいかなきゃいけない。
それでも行ってくれたし産んでくれたよね。
途中でやめれるタイミングなんて何度もあったよね。
それでも産んでくれたよね。
結婚もしたよね。
イロちゃんがいてくれたことで2人は夫婦になれて、
14年も夫婦でいたんだよね。
産んだとしても別に自分で育てなくてもいいよね。
おむつも別に替えなくてもよかったんだよ。
替えてくれたよね。
ご飯も食べさせてくれたよね。
ランドセルも買ってくれたよね。
服も着せてくれたよね。
裸で学校に行ったわけじゃないよね。
してくれたことってたくさんあるよね」
この言葉は、多分一生忘れられないと思う。
「家族を家族にしたのは、イロちゃんなんだよ」
余裕なんてもうなかった。
人前で泣くなんて、自分のことで泣くなんて、しばらくなかった。
大丈夫です、私は。もう色んなところを超えてきているので。とドヤ顔している私が、
こんな、愛に気づいて泣くなんて。
ダサいな、こんな風に泣くなんてダサいぞ、と頭の端で言っている声がする。
「こんな風に泣いちゃって、今この場の空気をどうにかしなきゃいけないと思ってる」
と泣きながら言うと、
「そんなことどうでもいいんだよ!!!」と言われた。
ダサいのが嫌で、感情を露わにするのが嫌で、
怖くてたまらなかった私が、覆い隠すことができなかった。
「産んでくれたのも、育ててくれたのも、足りないって思っていたけど愛だった」
と認めた。
「確かにお母さんが言ったことは悪い。
イロちゃんに想像以上に傷をつけちゃったんだと思う。
でも今、この講座の人がその場にいたら、
『お母さんなんてこと言うの!』ってみんなで駆け寄ってくれるよ。
『イロちゃんはそれでこの後何十年も苦しむことになるんだよ!!』って言うよ」
なんでそんなことまで言ってくれるんだろうと思った。
彼女が越えてきた色々を思った。
余裕なんかじゃなかったはずだ。
彼女の小さい頃の話も聞いた。
彼女の小さい頃も壮絶だった。
とてもじゃないけど、私ならそこから愛を見出すなんてできない。
器の大きさが全く違った。
私はこんなに器が小さい。
こんなにみじめで、虚勢ばっかりはって、見た目ばかり気にしている。
「素敵な私」でいることを、いつの間にか自分に課していた。
そんなもの、誰も望んでいないのに。
人生には必要な時に必要な言葉をくれる人がいる。
それは彼女の口を借りて、大きな力が私のために言ってくれたのかもしれないとすら思う。
彼女は紛れもなく天使だった。
あの日から眠くてたまらない。
潜在意識が大きく切り替わろうとしている。
親ワークすら舐めていて、
余裕綽々で講座をリアタイした私。
あの時の私とはもう違う。
本当にありがとう。
あの時あの場にいてくれたみんな。
あのグループに割り振ってくれた運営さん。
それを導いた何か大きな力。
ここで私はひとつも愛されていなかった私を脱ぎ捨てて進んでいける。
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