私には息子が1人いますが、30年間子供が欲しいと思った事はありませんでした。
むしろ子供が嫌いで幼稚園の前などを通る時は恐怖心があったりもしましたし、小さな子と一緒に遊ぶということもどうしていいかさっぱりわからず、
むしろ他人の子供を見るとあまり愛されて育ってこなかった私は
「あーこの子は何の取り組みもしなくても愛されていいなぁ」なんて思ったりもしていました。
それは私の育ちが悪いからだろうとずっと思ってきましたが、先日私が大好きな友人が、
「子供は好きではないし欲しくはない」と話してくれました。
友人は私と違ってご両親に本当に愛されていて、自分も両親からの愛情を疑った事はないと言う人でした。
家庭環境は私とずいぶん違っていて、でもそんな彼女も私と同じく結婚願望も子供が欲しいと言う願望もないということで、私は考えてしまいました。
世の中的には結婚願望がないと言う事はだいぶ認知されてきましたが、子供が欲しくない、子供が好きではないと言うと、
人でなしのような、人間として、生き物として欠けたところがあるというような見方をされてしまうことも多いと思います。
実際私も自分の子供を可愛くないねなどと言われてしまったら、その人のことをその人と良好な関係を築いていくのはちょっと諦めてしまう位嫌なことでもあります。
しかし、その人にとっては大切な存在だとしても自分にとっては申し訳ないけれども興味がないと言う事は認められる自由だと思いますし、
そのことで人間的に未熟である何かが欠けているということにはならないと思いました。
あくまで趣味嗜好のひとつのようなもの。
もともと人間は生まれた時、好きなもの嫌いなものは大体決まっているのではないか、というのを息子を育てながらよく思います。
生まれつき子供が好きなタイプ、苦手なタイプというのはあると感じています。
私の息子はまだ3歳なのですが、子供が大好きです。
自分より小さい子を見ると可愛がりたいと言って抱っこしたくなったり、
自分より大きな子供でも挨拶をしに行きたがったりなど、「子供好きな子供」です。
こういうのは将来どうなっていくのかまだ分かりませんが。
あと、息子が車がとっても好きで、その車好きであるという好みも子供が好きであるという好みも、私たち親が何かしてきたから身に付いたものと言うわけでは全く無いと思います。
何かが好き、嫌い、何かを求めない、というのは決して何かが欠けているからではないと思っています。
私たちの人生は短いです。
好きなもの、大切にしたいもの、そして実際に大切にすることができるものは思っているより限られています。
だとしたら世の中で大切とされているものを大切と思えない自分を責める時間というのはとてももったいないです。
たとえ自分の大切な人にわかってもらえなかったとしても、あなたの考えを、思いをわかってくれる人は必ずいます。
少なくとも私とその友人はよく理解ができますなので、そういった自分を責めずどうして私はこうなんだろうと考えて苦しくなることをしてほしくないなぁと思います。
犯罪を犯さなければ何かを好きだ嫌いだと言う自由は誰にでもあるのです。
とはいえ、「嫌いだ」という発言は人を傷つけてしまったりトラブルになることもあるので、言うべきでない時に言わない分別は必要です。
何でもかんでも嫌いなんだから私に近づけないでと言うわけでなければ、心の中で好き嫌いと思って良い自由は全員にあります。
その分、ぜひ大好きなことを大好きだということにその口を使ってほしいなあと思います。
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