前回の記事はこちら
2019年9月8日がやってきた。
明日は帝王切開で出産するので前日から入院する。
もう入院バッグを用意するのも手慣れたものだし、今回はようやく赤ちゃんに会える。入院準備をしたのはこの妊娠期間中5回目だったが幸せな気持ちでしたのは初めてだった。
家を出る前に猫たちを抱きしめて、夫と大きなお腹で最後の写真を撮った。
赤ちゃんの肌着や母乳パッドやその他もろもろを詰めて病院に到着した。
7月にも1カ月間入院していたのでもう勝手はよくわかっている。
顔なじみの看護師さん達に挨拶をして、翌日の手術の段取りを確認し、あっという間に消灯時間になった。
「一晩中眠れるのはもうしばらくないからゆっくり眠って下さいね」
と看護師さんに言われて「あーよく言われるやつー」なんて思いながら半笑いで応えた。
この言葉の恐ろしさはすぐにわかることになる。
翌朝、12時の手術開始に合わせて9時頃には手術用の服に着替え、夫と義母さんもカメラをもって病院に来てくれた。
色んな帝王切開のネット上の感想を見たが、大体みんなものすごく痛いと言っていて不安もあった。
でも、私はもう後は手術を乗り越えるだけで、この大変な妊娠生活がやっと終わるという喜びが手術の恐怖に勝っていた。
それに毎日世界中で数えきれないほどされている手術なわけで、なんなら日本一されている手術なのでは?とすら思っていたのでもう全て先生に任せていた。
ちなみに外見の問題で縦に切るか横に切るかなど事前に話し合いはしていた。
私は以前子宮筋腫を取った時の傷跡が横だったし、横に切った方が下着に隠れて痕がわかりにくいという点から横を選んだ。
(赤ちゃんの頭が大きすぎるなど不測の事態があればこうリクエストしていても縦に切られることはもちろんある)
そして11時半、手術室へ歩いていった。
エレベーター前まで不安げな顔で夫と義母さんが見守ってくれた。
手術室に着き、自分でベッドの上に乗る。
指示の通りに腕と足を軽く開き、仰向けに横たわる。
点滴や酸素濃度を測るものをつけられて、横向きになって腰に麻酔を打たれた。
痛いと聞いていた麻酔も想像の範囲内の痛みだった。
徐々に足が他人のもののように何も感じなくなっていく。冷たい鉄のような物を当てられて、「これ感じますか?」と何度か確認される。
完全に麻酔が効いたことが確認されると、いよいよ手術がはじまった。
二人の先生と数人の看護師さん、麻酔医の先生、頭の横で看護師さんがついて今どんな状態か説明してくれた。
下半身をベタベタに消毒され、いよいよメスが入ったらしい。ここからは本当に早かった。
メスが入ったと言われてから多分5分もたたず内臓にガッと腕が差し込まれたような感覚がして、「はい、出ますよー」と先生が言った。
グウウッと内臓が持ち上げられ、ふっと軽くなったと思うと、腹の上に小さな小さな赤ちゃんが見えた。
小さい。想像より小さい。
真っ赤で、びしょびしょで、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
すぐに看護師さんが軽く赤ちゃんを拭いて私の胸の上に乗せてくれた。
不思議で、そっと手を出したら私の人差し指を5本の指でしっかり握ってくれた。
あの時の感覚は多分一生忘れられない。
毛むくじゃらで、真っ赤で、歯のない歯茎だけの口で一生懸命泣いている。
今まで3Dエコーや4Dエコーがある病院に行けていなかったから顔を見るのは本当に初めてで、正直、妊娠中は「絶対に守るべきもの」という意識だけで、お腹の赤ちゃんに愛情やかわいさみたいなものは感じていなかった。
でも、今ここで初めて顔を見た小さな生き物はかわいい。
問答無用で愛おしい。不思議だ。
そんなことを考えていたのは多分一瞬だったんだと思う。看護師さんが「はい、こっちに来ようねー」とコット(新生児用のキャリーベッド)に赤ちゃんを寝かせて私の顔の横に置いてくれた。
そこからはもぞもぞ動いて泣く赤ちゃんを不思議な気持ちで見つめていたが、お腹の縫合が始まったらしく、なんだか内臓がいじられる感じで気持ちが悪い。
気分が悪くなってきたと伝えると赤ちゃんを先に連れていきますねとコットごと連れていかれて、そこからはひたすら耐える時間だった。
やっぱり麻酔は苦手だ。内臓が気持ち悪くて頭も痛くて何度か嘔吐し、手術は終わった。
手術時間は全て通して1時間くらいだった。
後日、こうやって私が腹を縫われている間、夫と義母さんが初めて赤ちゃんに会っていた時のビデオを見せてもらった。
「よく生まれてきてくれたねえ」と涙声で語り掛ける義母さんと、すやすや眠る赤ちゃん。何とも言えない顔でじっと見つめている夫。
皆に望まれて生まれてきた子は、こうして身近な人にはじめましてをした。
手術が終わって病室に戻ってくると夫と義母さんがいた。
「本当によく頑張ったねえ」と義母さんが言ってくれた。
夫は何も言わず呆然とした様子だった。
足は動かないし気分が悪いしなんだか朦朧としていたけど、夫に
「大変だった甲斐があったね」と言ってしまっていた。
あの妊娠生活をやっと乗り越えたんだと静かな達成感があった。
私の人生でこんなに「甲斐があった」ことはない。
朦朧とする意識の中で、よかった。本当に良かったと思った。
夫は何も言わず私の手を握ってくれた。
術後は大変だった。
気分が悪くなったのがなかなか治らず、頭が重くて目が開けられない。眠いわけでもないのに目が開けられないから目を閉じてじっとわけのわからない具合の悪さに耐えた。
13時には病室に戻ってきていたがまともに会話できるくらい回復したのが18時くらい。もう夫と義母さんは15時まで付き添ってくれたが、特にできることもないので帰ってしまっていた。
何とか水分は取ったが食事はとれないし足の痺れ、不快感、頭の重さで想像以上の体調の悪さだった。
背骨に麻酔が入っていて翌朝まで麻酔は流されることになっていたので痛くはなかったけどこの麻酔の痺れがとにかく不快でたまらなかった。
赤ちゃんは、私の下半身がこの日は動かないので、この晩はナースステーションでみてもらうことになっていた。
でも21時頃、看護師さんが赤ちゃんを病室に連れてきてくれた。
「今日は一緒には寝れないけどママに会おうね。ほら、ママの匂いだよ」と私の胸の隣あたりに赤ちゃんを寝かせてくれた。
「ほら、自撮りして自撮り。はじめての自撮り」とニコニコしながらスマホを渡してくれ、はじめての自撮りをした。
この時の写真は宝物だ。
グレープフルーツほどの小さな頭に小さな帽子を被ってぷくぷくのまだ顔全体がむくんでいる息子と、あんなに体調が悪かった割に余裕の表情で映る私。
まだ「息子」というよりこの時は「息子になった赤ちゃん」というくらいの感覚だったから少しお互い余所行きの顔をしているように見えて可愛い。
息子は少し私の胸の横でぐずったけど、すぐに眠ってしまった。
小さな小さな命の、小さな、でもはっきりとした寝息。
一緒にいる時は足の不快感も体調の悪さも忘れた。
可愛い。「私は自分の子を愛せるんだろうか」というのが怖くてたまらなかったけど、この子はとても可愛い。
看護師さんに連れられて赤ちゃんは戻っていった。
スマホには沢山の通知が来ていた。
「おめでとう!」「おめでとう!!」こんなに沢山の人が祝ってくれて、喜んでくれてうれしい。
長い長い妊娠生活の終わり。
私が母になったなんて信じられない。
でも私は生まれて初めて本当に大切なものを、ひとまずここまで守ったのだ。
次の記事はこちら
コメント