人生のどん底で推しに出会ってフォロワー7000人になった私② 一番自由だった時代

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結婚を理由に劇団を逃げるように辞め、けれどすぐに結婚相手の田舎に嫁ぐ決心もできなかった私は札幌でしばらく一人で暮らしてみようと思った。

 

21歳の時に嫌でたまらなかった実家を出て、劇団とバイト先の往復で、深夜に家に帰って寝るだけ。

普通の女性として暮らしたことがないことに気が付いたのだ。

(ちなみに大学は経済的理由から中退していた)

 

そして適当に社員募集をしていた会社に営業職として入社したが、そこで私は人生の基盤となる大切な経験をする。

お金を稼ぐという経験だ。

意外と営業に向いていたのだ。

 

実家にいた頃は気付けば貧乏でいつも母はお金がなくてイライラしていた。

実家を出てからも劇団で忙しく、生活を支えるバイトは時間がある時に入るという感じでカツカツの生活だった。

だからお金には不自由するのが当たり前だったが、ここで初めて人並み以上の収入を得て、自分のお金で色んなことができるようになるという経験をした。

 

きれいな家に引っ越したり、欲しい服を買ったり、外食ができたり、

何より常に付きまとっていた「お金が足りるだろうか」という不安が消えた。

 

お金を使うことが好きで、お金が大好きだと公言して憚らない社風だったのも新鮮だった。

お金を稼ぐことも、使うことも、欲しいと言うことも悪いことじゃないんだ。

 

そこでの暮らしは想像以上に私の価値観を変え、成績を上げ、認められることで今まで「なんとなく人並み以下」だと思っていた自己肯定感もムクムクと高められていった。

「この支店にはあなたがいないとダメだよ」と上司に食事に連れて行ってもらったり、成績上位者ボーナスのグアム旅行にも行った。初めての海外旅行はとっても楽しくて新鮮でもっともっと色んな所に行ってみたいと私に「旅行好き」という新たな趣味を作った。

けれどここでも私の生活に影が落ちた。

強迫性障害を発症してしまったのだ。

 

幸せの絶頂のような時になぜか現れた強迫性障害。

どんなに疲れて帰ってきても寝室のほこりを隅々まで取り、取った後に手で触れる。これが何回続くかわからない。

最初の頃は泣きながら毎日2時間は掃除していた。

もう寝る準備を整えてパジャマも着た後に、だ。

 

休日に家にいて休んでいても隙を見たように現れる強迫に襲われ、一日中掃除をしていた。

体が休まらない。どう休めばいいのかもわからない。

病院にかかったけれどすぐに良くなるものではない。

誰にも相談できない。

どんどん心身が疲弊していった。

けれど不思議なものでそんな時でも成績は下がらなかった。

だから頑張り続けた。でも続くわけはなかった。

 

毎日体調が悪くて寝不足でフラフラしていた頃、会社から独立する人がいて、誘われたのでそちらの会社に移った。

そこからは一般的な収入になったが、今まで成績を出すために出張に行ったり夜中に退社したりといった生活は終わり、落ち着いた生活になっていった。

少しずつ体調も戻していけた。

貯蓄もあったし、「私はその気になればお金を稼げる」という経験をしたから不安はなかった。

けれど強迫は以後今でも私に付きまとっている。

体調を崩したこと、イケイケだった会社を辞めたことで遠距離だった当時の彼氏(現夫)の元に急に行きたくなった。

こんなに毎日不安だから誰かにそばにいてほしいと思った。

けれど新たに勤めることになった会社の社長(元同僚)とはとても仲が良く、社内の空気もいいし仕事内容も収入も不満はない。

そろそろ彼氏とは遠距離になって2年が経とうとしていたが、私はだましだましどちらもキープするような生活をしていた。

 

 

それから更に半年ほど経って、彼のお父さんが事故で急逝してしまった。

駆け付けた葬式では何度か会ったことのある義母さんが憔悴しきった顔で座っていて、彼も見たことがない顔をしていた。

 

私もこんな状態で誰かにそばにいてほしいと思っている。

彼も多分私にそばにいてほしいのだろう。

そろそろ決断する時だと思った。

「結婚するから辞めます」

と言ったのは二度目だった。

社長は「惜しい人材だけどおめでたいことだから」と祝福してくれた。

退社の日まで皆で沢山飲みに行き、退社日にはお花ももらった。

 

春になったら夫のいる田舎に行くことになった。

それまで大好きな札幌を満喫するつもりだった。

 

ここで生まれて、育って、毎年とんでもない量の雪に不便だなと思いながらも札幌が大好きだった。

雑多で、多文化で、歩きやすくて人が優しくて、でもお互い無関心で、都会で、でも雪国で、札幌ならではの独特の空気感が大好きだった。

 

こんなに大好きな札幌を離れたことで死ぬほど後悔することになるとは思わなかった。

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