サウジアラビアの大福、私と推し

バンタン
スポンサーリンク

※こちらの記事は2021年11月28日noteに掲載したものの再掲です。

1年前の私が何を考えていたんだろうと思ったらなーんも変わってなかったわ。

今日はバンタンが2年ぶりのオフラインコンサートをLAで再開した記念すべき日だ。

コロナによって止められた時間が動き出し、彼らとARMY達(現地にいれるいれないに関わらず)は会えることが当たり前ではないこと、愛を与えあえることが当たり前ではないことを全身で感じ合いながら今日という日を迎えている。
言いたいことはたくさんあるし想いは溢れるほどあるし正直今日はTwitterを見ていたら1日が終わっていたしなんかもう色々大変だ。
が、今日はそのことを書くのはやめた。
昨日ツイキャスで話していて「そうそう、私のユンギへの想いはこんな感じ」っていう感覚に自分なりにひとつ答えが出たのでそちらを忘れないうちに記すことにする。

 

 

さて、サウジアラビアの人の中で大福を食べたことがある人はどれくらいいるんだろうか。
突然何の話だと思っただろう。もう少し閉じずにお付き合い願いたい。ユンギは私にとって「サウジアラビアの中の大福」なのだ。
 

いよいよわからなくなってきたね。よしよしそれでいい。
 

サウジアラビアに生まれた人が大福に巡り合う可能性はどれくらいなんだろうか。

大福とは縁もゆかりもないサウジアラビアに生まれた方でも、

神か何かの力で生まれながら大福が好きで好きでたまらず、

大福に出会わずに生きて死ぬ可能性の方が多分高いが、

もしも出会ってしまったら最後、四六時中あの手に粉のつく感覚、柔らかな口当たり、真っ白の生地の中に甘くて黒い塊があり、口の中で甘くねっとりと溶け合う感覚に支配されてしまうだろう。

生まれながらに大福を愛するように定められているから。

 
私の中のユンギもそうなのだ。

初めて見たDynamiteで雷が落ちるように「なんだこのカッコいい人…」と度肝を抜かれたし、

The Lastで彼の心の内側らしきものに触れてからというもの私の中の好きなもの、好きだと思っていたものを塗り替えて彼がどんどん好きになっていった。

バンタンの唱えるLove Myself精神に心から魅了され、自分を愛する方法を色々試し、色んな人と出会い、自分を愛する方法を知った。

彼を知る前は私は一体どんな風に自分をとらえていたのか思い出せないほどだ。
 

振り返ってみれば思うのだ。なぜこんなにユンギが好きなのか。

「好きになるように定められていた」としか思えない。

それくらい彼の全てが好きだし、正直、彼がこれから先どんなことをしてどんな人生を選ぼうとも、その選択によってはめちゃくちゃ泣くこともあるだろうが、結局彼を愛してしまうんだろうなと。

「私の好きなもの」の中心に彼が杭のように打ち込まれてしまったから。

 
大福を食べたサウジアラビア人、知恵の実を食べたイヴ、その瞬間から目が開き、世界が全く違うものになる。この出会いはした人にしかわからないだろう。

 

 

ところでこんなことを書いておいてサウジアラビアではめちゃくちゃ大福がポピュラーなものだったらどうしようと不安になって検索した。

多分今日「サウジアラビア 大福」で検索した人は日本で私だけだろう。

結果はサウジアラビアでは雪見だいふく風もちアイスがブームで都市部では専門店もあるらしい。

なんてこった。

まあでもあれと大福は似て非なるものだし、私のイメージしていたのはサウジアラビアの都市部ではなく片田舎だったのでそのイメージで読み進めてもらいたい。

 
勿論サウジアラビアにおける大福とは比べようもないくらいに日本におけるバンタンは超有名だし出会うきっかけは無限にある。軽率に比べるものではないことは理解している。

ただ、私が言いたいのは「人生でこの人を好きになるのが決められていた」と思うほどの出会いはそうそうないということだ。それこそ、サウジアラビアで大福に巡り合うくらいの可能性だと思う。

 

大福を一口含んでしまったその人は、もうその前には戻れない。

あのえも言われぬ甘さを、奥深さを、その後の人生でずっと引きずるだろう。

死ぬ前にも思い出すかもしれない。それくらいの力が運命の出会いにはある。

 
その出会いは例えば人、食べ物、音楽、彫刻、建物、楽器、絵画、小説、詩、戯曲かもしれないし

季節や風や匂いや自然現象や場所かもしれない。

でも誰にでも多分ひとつはあるんだと思う。心を揺さぶって杭のように打ち込まれてそれ以前以後で人生をわけられてしまうような何かが。

 
私にとってはユンギだ。

ユンギと出会う以前以後の自分ではっきりと分けることができるし、彼を知る前にはもう戻れない。

BYとAYだ。Before Yoongi After Yoongiだ。何言ってんだ。

 
もしもユンギが風や絵画や食べ物だったとしても私は好きになっていたと思うし、前世や来世でも好きになると思う。

何度生まれ変わっても私が愛するものの根底に彼の要素がある気がしている。

 
これは少し気持ち悪い話になるが、私は彼を「知っている」感覚すらある。

彼の手の感覚や耳をさらさらとこする髪の毛の音と質感やさらっと乾燥した肌の感覚や何より彼の声をどこかで聞いたことがある。

なぜなんだろうなぁと思うけど、きっと大福と出会ったサウジアラビア人も似たようなことを感じるんじゃないだろうか。

「私はきっとこれを食べたことがある!」って。
だからといって前世そのサウジアラビア人は日本人だったんだと考えるのは私の考えとは違う。

これは私の感覚的な話でしかないんだが、人は多分生まれながら好きなものが決まっている。それは説明ができない。でも確かにあるんじゃないかと思う。

 

 

こういうことを書くと「要は恋をしたってことですよね(笑)」みたいなことを言ってくる人が必ずいると思うが違う。

恋をしたといえばそりゃそうだけどそんなことをこんなにダラダラ書いているんじゃないんだよ。

ある意味とてもスピリチュアルな話をしているんだよ。

ていうか人がこんなに長々書いていることを要するな。要するって失礼だからな!と私の中のオッサンがぷんぷんだ。

 
まあいい。お付き合いいただける優しい方が少しでも理解していただけたら私はとても嬉しい。

私はユンギがとってもめっちゃスーパーミラクル運命に定められていたのではと思うくらい大好きだということだ。

彼の考え方も信念も努力家なところも優しいところも容姿も肌質も声も作曲するものも全部全部とってもとっても大好きで、その出会いはサウジアラビア人が大福に恋するくらいのミラクルだと思っているということだ。

要するに。要しちゃった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました