毎日ユンギを語る27日目 リアコだから無理無理案件もあっていいじゃん

バンタン
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私はドリアコなので推しの熱◯なんて出ようもんなら大変ですよ。

こんなことを書きたくもないくらい。

口に出したくないし文字になんて絶対にしたくない。

わーーーーーーーー!!!!!いやだよーーーーーーーーー!!!!!!!

ということで苦肉の策で伏せ字にした。

 

気を取り直して。

あのですね、私はいつも思うんですよ。

「本気で好きなんだから嫉妬するのは自然」と。

 

そもそも嫉妬とは何か。

その根元には何があるのか。

 

「気が狂うくらいその人が好き」ってことじゃないですか。

才能に嫉妬しちゃう人とかは「気が狂うくらいそのことが好き」っていう言い換えもできるね。

 

とにかくね。ものすごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく大切じゃないと嫉妬ってしなくない?って話なの。

だから、嫉妬ていうのはどれだけ大切にしているかのバロメーターですらあるとも思っている。

 

でも、「嫉妬は醜い」

「悪い感情」「嫉妬している自分が嫌い」

「こんな気持ちが湧いている私は未熟でどうしようもない人間なんだ」

と思うじゃないですか。

 

カウンセラーの立場から言わせてもらうと感情は「結果」なので起きてから結果について悲嘆に暮れても手遅れです。

もしもその結果を変えたいなら前提を変えるか、自分が変わるしかない。

もしくは、その結果も私の人生には必要なことだと視点を変えるしかない。

実は最後が一番大事。

 

どんな感情も間違いなんてない。

全ての感情に高尚な理由なんてない。

欲しいから欲しい、悲しいから悲しい、腹が立つから腹が立つ。

そこに色々くっつけるからわけがわからなくなる。

 

私たちは普段推しから溢れるほどの愛をもらっているわけじゃないですか。

それは世界でたった1人の恋人としての愛ではなくて、

アミとしての愛であっても。

恋人ではないはずなのにこんなに向かい合って個人として大切にされている感覚があるじゃないですか。

これはもうすでにファンとしてはもらいすぎなんじゃないかっていうくらい。

 

愛をもらっていると、人はその愛を失いたくないと思うのなんて当たり前の話なのよ。

まして、自分の知らない誰かのものになるなんて想像しただけで吐きそうでしょ。

 

自然界で考えてみて。

自然界で親からの愛を与えられて命を守られていた子が、

突然その愛を別の子に注いでいるのを目撃したら。

それは命の危機じゃないですか。

 

愛がうつろうことって命の危機なのよ。

だからこんなに心が制御できなくなるんです。

当然です。命の危機だから。

 

「ただのリアコが命の危機なんてウケるwwwwww」って言われようもんなら

その人は人間の脳がどれほど原始的で制御できないものかわかっていないから無視でいいです。

 

人間の脳は、

原始的で、

分別がなく、

制御できないものなんです。

 

けれど私個人としては物事は原始的であればあるほど本質的で、

何万年も続いてきた愛おしい生命の営みだと思っている。

 

 

生命の営みとリアコの恋心を比べるなんて、って思われる方が大多数だとしても。

この記事がちょっとでも救いになる人に届くことを信じて。

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