2022年の誕生日はスペシャルすぎた

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4月21日は私の誕生日★

今年で35歳、女盛り。

毎日きれいになっちゃってどうしましょうという年齢になり、これからが楽しみで仕方がない。

 

見て見て!!!!この画像もお友達のガバミちゃん(https://twitter.com/@gaba_yoroshiku)が描いてくれたのよ!!!

めちゃくちゃオシャレで素敵でしょ!!もったいない!!!!1000回見よう!!

 

さて。(仕切り直す音)

誕生日当日も家族と素敵な服を買ったり美味しいガトーショコラを食べたりして最高の一日を過ごした。

 

けれど、更にありがたいことに私の相方、直帰が私のお誕生日ラジオを企画してくれた。

(私は週一回ツイキャスでBTS愛を語るラジオを相方と配信して半年以上になる)

内容は

誕生日を祝うマシュマロをフォロワーの皆に送ってもらい、

私と話してみたいという優しい方をスピーカーとして呼び、

愛する相方、直帰からも一言もらえるというもの。

 

いやいやいやいや何それ~~~~~~~~

そんな幸せあっていいの~~~~~~~~?????

生きてたらそんな幸せなことあるの~~~~~~????

なんなんだよボーナスステージかよ~~~~~~~~~

マイッタナ~~~~~~~~~~(*´ω`)

と夕方から酒をあおりながら気もそぞろだった。

 

詳しいことは一切知らされず(私たちのラジオは大体いつも特に打ち合わせなく行き当たりばったりなんだけど)、丸腰でラジオに行くと、一生忘れられない愛で満ちた空間が私を待っていた。

 

愛、愛、愛しかない。

ラブラブラブだ。ドリカムだ。

いやここはなんかもうビートルズだ。

愛こそすべてだ。

キャンプファイヤーで燃やされている炎のような気持ちだ。

まことにプルタオルネ。

私の周りで踊るみんなが見えるようだ。

 

みんなから本当にもったいないような言葉を沢山もらった。

一言一言網膜に張り付けておきたい。

たまに剥がしてベロベロ舐めてまた戻したい。

どうしたらいいんだろう。こんなに幸せで、どう消化したらいいんだろう。

改めて聞いてみたら案の定私は基本あっぷあっぷしていた。

 

お話ししたいなーと思っていた人たちともお話ができた。

こんなに優しい人たちに囲まれているなんて、わたしゃ前世で国でも救ったんだろうか。

救ったのかもしれない。直帰と一緒に。そうじゃなきゃ説明がつかない。

 

直帰が「1年前の自分にどう声をかけるか」と私へのお手紙の中で言ってくれたけど、

「あなたはユンギが好きな気持ちが今がピークなんじゃないかと怯えているけど、

1年後、今よりもっとユンギが好きで、

ユンギについて語る言葉ももっと増えて、

愛は熟成して深くなって落ち着いて、

諦めていた家も建って、

バンタンが有観客コンサートもできて、

息子は健康で、素直で賢く育って、

夫と会話も生まれて、

この土地で友達もできて、

強迫も少し落ち着いて、

髪をレインボーにしたりセクシーな下着をつけたり、

あ、でも3キロ太ったり、

自分の半生を人に話して勇気づけたいと思ったり、

ラジオを始めたり、

ブログを始めたり、

宝物のような親友たちと、

私を信じて悩みを相談してくれる人たちと、

私の文章が好きだと言ってくれる人たち。

大切な人が沢山できて、

毎日色んな話をして楽しいよ。

信じられないでしょう?全部夢みたいでしょう。

たった1年よ。叶うよ」

って言ってあげたい。

あの頃の暗い目をしたユンギの掌に恐る恐る縋るような34歳の女の人に。

 

 

「人生のどん底で推しに出会ってフォロワー6000人になった私」で書いている通り、私の人生は暗闇の時期が長かった。

今思うと全て自分の努力次第な所もあったと思う。

 

でも、辛い時期を過ごして、不仲だった夫からは「君は人に嫌われる性格だ」と言われていた。

「君の言葉は人を傷つける」と。

母からも言われていた。

「お前の言葉はやたら癇に障る」と。

 

だから私は人から愛されることはないんだろうと思って生きてきた。

私のことを誰よりもよく知る二人から揃ってそう言われたんだから。

 

でも今なら思う。

「なーに言ってんだお前」と。

 

Twitterをやっていく上で、人に刺さる言葉を発することは長所だと知った。

私の言葉はどうやら人の心に届く。

だから、私と合わない人をむやみに傷つけ、苛立たせてしまうこともある。

でも、だからこそ、私と合うと思ってくれる人は傷つけたくない。

そういう人たちは全力で大切にしたい。

来る者は拒まず去る者は追わずだけど、来て去った人がまた戻ってきてもそんなこと気付かなかったみたいに受け入れていこうと思ってきた。

皆はそれが間違いではなかったことを確信させてくれた。

 

私、ただユンギが好きだっただけなんだ。

ただユンギが好きで、友達が欲しかった。

たくさんたくさん友達ができた。

 

ただユンギが好きだと言い続けていたら

ちょっとずつ友達が増えて、みんな楽しくお話ししてくれて、

私みたいなお父さんに育てられた可愛い声の繊細な女の子と出会って、

キラキラ輝く音楽で呼吸する太陽みたいな女の子が鍵垢から出てきて声をかけてくれて、

太陽に向かってどんなに重くても黄金に輝いて実をつける稲穂みたいな女の子と仲良くなった。

そこからもっともっと大切な人が増えた。

言いたいことも、伝えたい人も増えた。

 

みんなは私が捨てられなくてボロボロになるまで言葉で覆った「何か」を優しく撫でてくれて愛おしいと言ってくれた。

こんなに醜いのに。

「ありがとう」と言ってくれる。

 

今、ユンギとこの友達のみんなとどちらが大切?と聞かれたら、

私、迷ってしまう。

私の肩をもぎ取ってあげたいくらいユンギが好きで、

彼が好きで好きで世界中の美しい言葉を全て彼にあげたいくらい全身で全力で彼が好きで、

私の存在理由なんてユンギと息子があればいいと思ってたのに。

もう、みんながそこに入ってきてしまっている。

 

謙遜ではなく、私は価値のない人間だった。

いなくなっても本当に誰も困らない人間だった。

本当に微弱なはじまりに、波を立てて広げて、楽しんでくれてありがとう。

私に価値を与えてくれたのは、ユンギじゃなくてみんなです。

誕生日に「おめでとう」より「ありがとう」と言ってもらえる人になれたことが私の人生で一番誇らしいことです。

ありがとう。

全力の愛を込めて。

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