幸せと砂時計の話 〜私の育児について〜

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 母をやっていると自分が何なのかわからなくなる。

 

 ある日、自分はもう二度とふらりと夜外に出て都会のネオンに包まれて適当に飲みに行ったり、今日の夕飯も明日の朝食も帰る時間も気にせずに人の波の中でほっと息をつくことはできないことに気付いた。

 息子を愛している。誰よりも愛している。それは絶対に揺るがない。息子と離れる気は毛頭ない。そういう話ではないのだ。私が言っているのは日本という社会への文句なのか、それすらもわからない。だって、古今東西様々な文学で、演劇で、この孤独感はあらゆる言葉で語られているから。母になった瞬間の喜びと母性を賛美するのとは裏腹に、彼女らの内面を語る言葉はいつもどこまでも現実的で深い深い孤独が見える。

 母は孤独だ。世界一孤独な生き物は母かもしれない。

 ものすごく上手くいっている夫婦関係ではこの孤独はないんだろうか。毎日愛していると言われて君のおかげこの子は健康に育って感謝していると甘く大切にされていたら違っているのかもしれないと思うことはよくある。でもきっと、それだけでもこの孤独感は払拭されない。孤独を取り払うのは自分以外にはないから。

 

 私はもう一生家族の食事を考えない日はないし、掃除や洗濯の心配をしない日はないし、起きる時間も自分の都合では決められない。適当なものを食べて適当に生きて死んでも自分の命なんだから誰にも文句は言わせないなんて言えない。本質的にはそういう人間なのにも関わらず、だ。

 そう、私が母になって孤独をこじらせた理由はここが大きい。私は本来奔放で他人に縛られず、心のままに生きたい我儘な人間なのだ。住む所すら同じ場所にはいたくない。「自由にできる一人の時間」がなくては精神の安定を保てない。息が詰まる。でも母になれば勿論そうはいかない。母は精神的には孤独なのに、体は常に赤ん坊と一緒にいることを余儀なくされる。このちぐはぐさが、母をより深い孤独に突き落とす要因だと思う。

 

 何故そんな心理になるのか。まずは「圧倒的に捧げる一年間」が大きいと思う。

 赤ちゃんが生まれて一年は、母親は自分のことなんてまずできない。ひたすらに一日何度も同じことをし続ける。どんなに辛くても、眠くても、体調が悪くても、単調な作業に叫び出しそうになっても。

 以下私の主に産後半年くらいの辛かったこと、それが今はどうなっているか、どういう試みをしたかを記したいと思う。

 

 

私の産後スケジュールと睡眠について

 泣く、おむつ替え、授乳(授乳と表記しているがうちは混合だったので半分はミルク)、寝かしつけ、寝る、泣く、おむつ替え、授乳、寝かしつけ、寝る・・これを3時間くらいのスパンで昼夜問わず3、4ヶ月くらいは毎日毎日何度も何度も同じことをする。この間に自分の都合が入り込む余地は全くない。どんなに産後の体が辛くても、眠くても、高熱があっても、お腹を壊していても、この繰り返しをするしかない。しかも、これが全てスムーズにいくとは限らない。

 

 授乳と授乳の間は3時間は空けることが望ましいとされているが、例えば今深夜だとして子供が泣いて起きた。どんなに熟睡していようとも起き、おむつを替え、授乳の体勢に入る。授乳には30分くらいはかかる。添い乳をする人も多いしそれにもなんの問題もないことは今は知っているが当時は「何かひとつでもうまくいかなかったら恐ろしいことになる」という強迫観念があって深夜であってもきちんと毎回座って授乳していた(生後半年をすぎたあたりでもう面倒くさくなって結局添い乳するようになったが)。起きておむつを替えて授乳が終わるまでは大体45分。ここで寝かしつけに入る。飲みながら寝てくれれば儲けものだが毎度そうではない。飲み終わった子供をベビーベッドに置いて(これも添い寝ならもっと楽なんだが私は窒息防止などの安全面から生後半年までベビーベッドを使っていた。また、寝かしつけの癖になると大変なのとうちの子は重かったのでだっこで寝かしつけることはしなかった)、ゆっくりトントンしながら、小さく歌を歌いながら、手を握りながら、いつ寝るともわからない子供を寝かしつける。うちの子はなかなか寝なかったので寝かしつけも平均30分、長ければ1時間はかかった。ここで子供が起きてからは大体1時間半、授乳からは30分から1時間経っている。ここから運が良ければ3時間は寝るが、うちの子は授乳から数えて3時間で起きることが多かったので大体2時間だった。深夜に2時間近くかけて色々なことをし、終わった瞬間寝ても寝れて2時間。10分後に起きるようなこともよくある。しかも私は寝付きが悪く、なかなか寝付けない上に睡眠が浅いのでちょっとしたことで目が覚めてしまう。生後半年くらいまでは本当に寝れていなかったと思う。朝になった瞬間から、「今夜は3時間は寝たい」と思って布団から出る。本当に大変だった。

 

 その生活がマシになったのは本当にちょっとずつで、8ヶ月の時に初めて夜通し寝た。でも夜泣きや眠りにムラもあり、深夜のミルクは続いていた。この辺りで私の睡眠障害が悪化したため義母の家で週1回息子がお泊まりをさせてもらうことになり、週1度でもぐっすり眠れる日ができたことで私の体調とメンタルと睡眠状態は劇的に改善した。そのまま1歳を過ぎた頃に私が5時間は寝れるようになった。1歳半前にミルクをやめて、私もほぼ夜通し寝れるようになった。今も寝付きは悪くて寝かしつけには1時間ほどかかるのがザラだ。そこから趣味の時間などに使うとどうしても夜更かしになってしまう。子供がいると何年経とうともたっぷり眠るのはなかなか難しい。今も私に睡眠にトラブルが多く、メンタルの不調も体調不良も常に抱えているのでたまにお泊まりはさせてもらっている。快く愛情たっぷりに息子をみてくれる義母がいなければ子育てはできなかったと思う。

 慣れてくれば「どの程度なら手を抜いてもいいのか、どの程度は人にお願いしていいのか」がわかってくる。子供も強くなって色々なことが楽になってくる。でもその匙加減は本当に難しい。1日中1分も休まず世話をし続けることもできるのが子供だ。大きくなっても子供が望む通りに遊んだり、絵本を読んだり、お話ししたり。いくらでもしてやれることはある。1分でも全く子供のことを気にしていない状態にはなれない。危なっかしいことをいつするかわからない以上、本当の精神的な穏やかさ、アンテナがピンと張っている感じから逃れるには子供から一時的に離れるしかない。そのためには家族の協力が不可欠で、「お願い」できる自分の精神状態も大切だと気付かされた。精神状態が限界ではお願いもできない。疲れ果てて眠れなくて泣きながら生活していた日々を思い出すと今ならもっと上手くやれるのかもしれないと思うが、違うかもしれない。苦しみの中にいる精神状態は、そうでない時ではうまく思い出せないから。あの日々が私という人間を作り替えて「母」にしたとも思っている。それを賛美する意見は世の中にいくらでもあるし、そんな母としての自分の姿を否定することは愛する子供すら否定することに聞こえるのは承知の上だが、私には、いまだにそれがいいことなのかは、正直わからない。

 

 「授乳期の自分の体に対する嫌悪感」 

 「母乳神話」に不信感を持っていた私は授乳にもかなり苦しんだ。まず、産後病院で胸が張るのがこんなに痛いかと驚いた。胸がボコボコと乳腺の形がわかるほどガチガチに硬くなって熱くて痛む。その胸をマッサージされてスムーズに母乳が出るようにと処置される。これが本当に痛い。正直、帝王切開の術後の痛みと同じくらい痛かった。産後2日で母乳との付き合いに不安が止まらなかった。

 「おっぱいさえあれば子供が寝る。おっぱい様様」という方も多いかと思うが、私は前述した通り一番辛い時期に添い乳はしないようにしていたのでおっぱいの恩恵はさほど受けられなかった。さっさと添い乳してれば良かったと今は本当に思う。授乳期の胸は本当に扱いづらい。とにかく四六時中母乳が染み出てくるので母乳パットをつけないと外出もままならないし、家にいてもブラジャーを必ずつけていなくてはいけない。私は家ではリラックスのためにノーブラ派なのでこれはかなりのストレスだった。

 就寝前に搾乳しないと朝にはガチガチになって痛む胸。ガチガチの胸を吸われると痛いし、吸われないともっと痛い。熱を持ち、不快だが処理しないと炎症を起こして場合によっては切開しなくてはいけなくなるらしいので毎日毎日どんなに疲れていても息子が寝た瞬間に1分でも多く寝たくても搾乳などの処理をしなくてはいけない。

 「早くまともな胸に戻りたい」と産後何百回思ったか知れない。

 私は母乳が溢れて布団を汚してしまうから眠っている間も胸を布団につけられず、それでも朝は大抵母乳パットはパンパンで、一度などは泣く息子を抱えて寝室から出てきて服をめくったら汗と母乳の匂いが混ざってものすごく臭かった。それでも着替える気も拭く気も起きず「飲みなさい」と息子に差し出した私も、なすすべなく飲んでいた息子も、今だったら2人とも抱きしめてあげたい。

 前歯が生えた息子が乳首を噛むようになったのもあって1歳で卒乳した。想像より遥かにあっさりと済んだ。少しずつ授乳回数を減らしてその頃には昼寝の寝かしつけくらいしか授乳していなかったので卒乳で胸が張って痛むということもなかった。「まともな胸」に戻った時の開放感は忘れられない。

 

 「寝かしつけの正解がわからない」

 こだわりが強い私にはこれも恐ろしかった。子育てには他のことに比べて本当に正解がない。

 私の場合一番辛かったのはとにかく息子が寝ない。何が悪いのかわからない。産後病院で教えてもらえることなんてあまりにも少ない。「ジーナ式」という有名な寝かしつけ方法の本を読んで初めて寝かしつけの基礎の基礎もできていなかったことを知る。様々な寝かしつけ方法があることを知った。これをやれば眠れるかもしれない。泣く息子に授乳しながら「静かに飲んでなさい!」と殺気立って寝かしつけの本を読んでいた頃のことは思い出したくもない。

 結局ジーナ式はあまりうちには合わず(あれは完璧に行わないとあまり効果がないらしい)、寝室はカーテンやドアの隙間を無くして暗くする、1日のスケジュールを決めるといったところくらいはざっくりとやったし今も続けているが、正直その辺が役に立ったという事実よりも、あの暗闇で必死にもがいていたような時期に地図をくれたような安心感は忘れられない。

 どんなものでもいいと思う。一刻も早く正解を知りたくてもがいている母は世界中にたくさんいると思うし、ただ「知らない」というだけでどれだけ苦しむかしれない。結局子育てに正解はないんだが、そこで苦しくなってしまいそうな人はできるだけ産前に「これなら自分に合うかも」というような寝かしつけ方を探し、頭に入れておくことをお勧めする。それが実際何の役にも立たなくてもいいのだ。世界には色々な方法があることを調べて知ってさえいれば、それは必ず心の支えになると思う。

 

「夫との不仲」

 眠れないことと同じくらい、私はこれが辛かった。

 男性というのは女性に比べ共感力がない。共感よりも解決に重きをおく脳らしいので仕方がないのだが、切羽詰まっている乳児育児中はそんなことに配慮できるほど余裕はない。

あと、産後は本能的に夫であっても子供に近付くものを敵と見なすらしく、普段の百倍くらい腹が立つ。夫が哺乳瓶でミルクを飲ませるのが少し乱暴に見えただけでものすごく腹が立ったりする。

 あととにかく気がつかない。ギャン泣きしてても起きないしぐずりそうな雰囲気だけど今あやせばどうにかなりそうな時もボーッとTVを見ていたりする。他にも書くとキリがない。でもこれも男性は集中した対象以外の音は聞こえにくい脳の仕組みらしいので仕方がないらしいが、育児中はそんなこと言ってる場合ではないのだ。

 

 共感力のなさは決定的だ。どんなに辛い時に側にいれなくても、具体的にできることがなくても、「大変なんだね」「眠れないよね」と共感してくれるだけでこちらはどれだけ救われるか知れないのにそれができない。「大変」「眠れない」ことを解決をしようとする。「義母に預けて寝たらどうか」など。的外れなのだ。多分夫からしたら無責任に共感だけするのは不誠実な行為という認識なんだろう。これは何度も何度も共感と相槌だけ言えばいいと説明したがいまだによくわかってもらえない。

 その結果、夫は産前の想像の百倍役に立たない。そればかりか「役に立つ気もない」ように見える。

 これは今でもそうだ。息子が遊んでほしそうに色々1人でしゃべっているのに、夫は1人でゲームをしている。毎日毎日そんな様子だ。彼からすれば疲れて帰ってきて少しでも1人でリラックスしたいんだろう。それはわかるが、こちらは朝から眠るまでずっと元気に暴れ回る息子をみて、危ないことをしないか神経を尖らせ、話しかけられれば全部応えて、休む間なんて息子の昼寝中くらいなのに、なんでお前はゆっくりしてるの!?とキレそうになる。彼にとっても生活は大きく変わっているんだが、私ほど180度生活も脳みそも変わっていないので(当然だが)、「同じくらい変われよ!同じくらい大変な思いしろよ!」と思ってしまう。

 でも、産後2年経って色々なことを経て思うことは、誰も平等なんてことはない。夫であっても。それを残酷なくらい理解しなければやってられない。それに、「自分が稼がないと女房子供が食うにも困る」という意識でコロナ禍でも死に物狂いで働いてきた夫の大変さは私にはわからない。もっと正直に言うと、あまり理解できるとも思っていない。「理解できる」なんていうのは傲慢だと思っている。できるのは共感と感謝だけだ。結婚してから経済的に苦労したことは一度もない。そのことに感謝をしつつ、共感して、私は勝手にできるだけ楽しそうに充実して生きていくことしか夫婦円満はないかもなぁなんて最近は思っている。

 また、私は前述したように体力もないしメンタル面でも不調を抱えているし元々睡眠に問題があるので「夫も義母も他所の奥さんだったらこんな苦労をしなくて済むと思っているのでは」という考えにも随分苦しめられた。そんなこと言ってもはじまらないのだ。体調が悪いものは仕方ないんだからそれなりにやればいい。子供は1人で育てるものじゃないと冷静な時なら思うが乳児育児中は冷静になんてなれない。眠れない、正解がわからない、理解されない、共感されない、気遣われない、体調が悪い、こんなにないない尽くしの私に幻滅されているのではないか、なぜ幻滅されなきゃいけないんだこんなに頑張っているのに、ああ体調が悪いというループだった。本当に辛かった。そしてそんな様子で毎日毎日死にそうな顔でイライラしている嫁なんて夫からしてもたまったものじゃなかっただろう。

 1歳くらいまでは本当にたくさんひどい喧嘩をした。お互い離婚を毎日考えた。自分が可哀想で仕方がなかった。なんでこんな思いをしなくてはならないのかと何度も何度も泣いた。夫はものを投げたこともあるし私は夫のいびきが急に気になってしまい、夫を寝室から追い出した。お互い本当にひどいことをした。今でもそれが解決したかと言われれば、何も解決していないのかもしれない。お互い恨みとして残っているものはあるだろうし、残念ながら夫婦ってそんなものなのかもなと思っている。今は多分他所の夫以上に息子をみて、義母にも協力を仰ぎ、私のメンタル面や体調面の不調を理解し、経済的に支えてくれる夫に感謝している。ただもちろん喧嘩はする。夫婦ってそんなものだから。

 

 

 【私なりの解決策】

 という鬱々としたことを書いてきたが、ここからはそんな状況で私がどうしたかということを書いていく。さもトントン拍子でうまくいったように見えるかもしれないが、そんなことはない。1年も1年半もかけてゆっくりゆっくり見つけた答え達だ。これを読んだ方がもし試してくれたとして、「できない。私はダメ」とは絶対に思わないでほしい。一番辛い渦中でないからできたことは間違い無いから。あなたはあなたのペースを取り戻すことを、今はできないかもしれない自分を許してあげてほしい。

 

「セルフベタ褒め作戦」

 もう母はとにかく1日中自分以外のことばかりだ。

 子供が牛乳を溢した、夫の服を洗濯する、猫に餌をあげる、子供が食べ物を投げて遊ぶのを片付ける、夫の出しっ放しにしたペットボトルを片付ける、猫のトイレを片付ける、子供がちらかしたおもちゃを片付ける、夫の服を畳む、子供に服を着せる、子供におもちゃを手渡す、子供を公園に連れて行く、夫のスーツをクリーニングに出しに行く、夫にリモコンを取ってあげる、猫のブラッシングをする・・・・自分たちのためにする掃除や食事の支度、買い物、トイレットペーパーを替えるなどを含めたら家事は無限にある。そんな家事をこなしているのはめちゃくちゃすごい。

 そこで、声に出して(ここ大切)自分を褒める。どんなに小さなことでもいい。心が毛羽立ってきたら「◯◯くんにおもちゃ渡してあげた私えらい!」「夫の服を畳んでいる!世界一偉い!」「◯◯くんの溢したのを拭いてあげている私理想のママだな!」というように。他人が(たとえば夫が)自分を褒めてくれるかどうかはわからないし人を褒める習慣がある男性は多くないから「褒めて」とお願いしても非常に難しい。でも、自分で自分を褒めることはいくらでもできるし、人は耳から入った情報は外からの刺激として受け取るらしいので他人に言われたほどじゃなくてもそれに近い満足感は得られる。ボソボソ言わず、できるだけ溌剌とした声で。どうせ家族しか聞いてないのだ。お金もかからず、今すぐできる。これは本当におすすめだ。

「遠慮せず自分の時間をもぎ取りにいく」

 これはできる方法が人によって異なるので一概に言うのは難しいが、家族にみてもらう、地域の公的サポート、保育園の一時保育、ベビーシッターなどが主に子供から短時間でも離れる手段だろう。

 「子供から離れる」ことに罪悪感を覚えてはいけない。本人の意思とは関係なく、子供の近くにいたら母のレーダーは反応しっぱなしで本当に休まらない。トイレすら満足にいけない。食事もとれない。「休まなければ」という気持ちは悪いことでも何でもないのだ。

 ほんの2時間でも、子供と離れてカフェでご飯をゆっくり食べて本を読んで空を見上げて深呼吸してほしい。好きなものを買いに行くのもいい。勿論寝たって構わない。人間には自分に還る時間が絶対に必要なのだ。

 私は義母にみてもらっていたので(今思えば他にもっと気楽な方法があったかもしれないが)最初は「あと1時間」「あと30分」とせこせこ休んでいた。いや、休めていなかった。遠慮と焦りがあったから。寝れてもいなかったし、正常な判断力がなかったんだろう。とにかく家から離れたくてフラフラの状態で運転して買い物に行ったりしていた。

 また、「誰々はこれだけ我慢できているのに私は…」「こんなママでは子供に申し訳ない…」と思うのは良くない。他人と自分は違う。痛みの感じ方も、体力も、精神の健康さも。「誰かはできている」ことは自分にとって何の判断基準にもならない。自分が辛いと思ったら辛いのだ。辛ければ辛いほど偉いといったような考え方は日本の教育の中で嫌と言うほど刷り込まれるものではあるが(特に母の自己犠牲については過剰なほど賛美されている)、そんなことあるわけない。辛いのを我慢するより適度に息抜きして健康管理をできる人の方が偉いに決まっている。さっさと、堂々と休もう。そして家族に笑顔を見せる時間を増やしてほしい。

「住んでいる地域の児童館の情報収集」

 これは上記と重なるが、私は1歳3ヶ月まで子供を遊ばせられるの存在を全く知らなかった。近所の保育園や児童館で親同伴で保育士さんや他の子と遊ぶことができる。コロナの影響でどこも閉まっているんだろうと思っていたけどそんなこと全くなかった。産後初めて他人とまともに話し、保育士さんに育児の相談をしたり、ママさん達と雑談することでどれだけ救われたか知れない。息子もそこで初めておままごとをしたり、滑り台を滑ったり、他の子と遊んで本当に楽しそうだ。絶対に地域の児童館の情報収集はした方がいい。

「SNSで同じ趣味の人との交流」

 これもなかなか難しく感じるかもしれないし SNSも色々あるので私の話をすると私の場合はTwitterでBTS好きの人達と繋がったのは非常に大きかった。些細なことを呟いて、情報収集して、文章を書いて、仲良くなった人と話して、リアルでも会ったりして。私はかなりトントン拍子に進んだ方だとは思うが、好きなもの(漫画、アニメ、アウトドア、スポーツ、ゲーム、小説、映画、舞台、俳優、ミュージカル、コスメ、写真、ヨガ、声優、アイドルなどどんなものでもいい)のアカウントをとりあえずひとつ作ってみて、良さそうな人たちをフォローしていくことをオススメする。とにかく家庭以外に目を向けること。外にも人がいること、世の中には色んな人がいて色んな意見があることを感じてほしい。

「できるだけ趣味を持つ(人に褒められることがいいと思う)」

 これも上記と重複するが、私の場合はこうしてnoteに書いた文章や二次創作の文章をTwitterを通じて色んな人に見ていただいて感想をもらえたことで自己肯定感が爆上がりした。勿論他人に褒めてもらわないと自分の価値を見出せなくなったりしたら行き過ぎだが、少しでも得意なことで褒められたいという欲くらい持っていていいと思う。毎日毎日家族のために頑張って誰からも感謝もされていないのだから、少しくらい得意なことを「どうだ!」と自慢する場があると「私なんてダメなママだ」「他所の人はこんなこともしてこんなこともしている」とグチグチ考える時間は減る。

 「そんなこと言ったって私には何の特技もないし自慢できるものなんてない」という方もいるだろう。というかそんな方ばかりかもしれない。私だって1年半前は自分が文章を書けるなんて知らなかったし、こんなに他人様に褒めてもらえようになるなんて夢にも思わなかった。自分の価値は自分ではわかりにくい。小さい頃好きなことはなんだったか、何をしている時は時間を忘れて打ち込めたか、是非思い出してみて、どんな些細なことでもいいからやってみてほしい。そしてできれば前述したアカウントで発表してみたらなおいいと思う。「最高傑作」を生み出そうとしたら一生完成しない。私は初めて二次創作を書いて上げた時は30分で書いたしろくに推敲もしなかった。それくらいの完成度でいい。お世辞でも褒められたら嬉しいし、褒められなくて元々だ。

「(可能な限り)家族と本音で話す」

 これはかなり難しいのはわかっているし私の例はかなり特殊なので読み飛ばしてもらっても構わない。でも、甘え方がわからない。自分の感情がよくわからないという人にはぜひ読んでもらいたくて最近の私の例を書こうと思う。

 私は夫とは前述したような感じだが義母とは仲がいい。実の親子ではないので価値観や考え方に大きな乖離はあるものの、尊敬しているし息子をみてもらっていることに感謝しているし私の実母との確執(この辺は別記事の「私の半生」や「うちの母の話」に詳しく書いた)も理解してくれているしよく聞く嫁姑トラブルのような嫌な女臭さがない人なのでありがたいと思っている。

 だが最近、義母と喧嘩をした。私のメンタルの状態が良くなくて強迫行動が悪化していくばかりで時間がなく、苛立って体調も悪く睡眠状態も悪化しているのに見かねた義母がもっと息子をみていようかと提案してくれたのに私が素直に受けられなかったからだ。

 義母にしてみたら私は訳がわからない嫁だろう。いつも本音が見えず、社交辞令と正論ばかり言う割に我儘で時間にルーズでいつも何かに追われている。解決策を出しても色よい返事をしない。申し訳なさそうにするばかりでいつまで経っても解決しない。白黒つけたい性格の義母としてはいい加減どうしていいかわからなかったんだろう。

 私は私で結婚後8年間何を言ってもいまいち通じない義家庭に感じる違和感にいい加減限界だった。「褒めてほしい」と言っても「息子は口下手だから」と言われ続けてきた。褒めて欲しくて寂しくて死にそうなのに。毒親育ちで甘えることができない私は一般論でしか寂しさを説明できないのに。どんなに説明してもわかってくれない。それがこの時爆発した。もうわかってくれなくてもいい。一切理がないことを言って嫌われるかもしれない。でももうどうでもいい。

 そう思って噴き出すように義母に「夫にたった一言褒めて欲しかった。よくやっていると認めて欲しかった。知り合いも友達もいないのに、ここに嫁いできてから私は一度も共感されたことがない」と泣きながら訴えた。

 すると義母は黙って私の話を全部聞いた後、「今まであなたの気持ちがよくわからなかった。でも今はわかる。私も結婚した時は同じ街ではあったけど誰も味方がいなくて辛かった。寂しかった。でも30年も昔のことだから忘れてしまっていた。気付かなくてごめんね。私も覚えのある感情なのに、わかってあげられなくてごめんね」と言ってくれた。2人で泣いた。夢だと思った。ずっとずっとこんなことを言ったら嫌われる。何の正当性もない、一般論でもない。何の説明もできない。子供じみた欲だ。ああ、でも私はずっと寂しかったのだと思った。私は自分が寂しいのか、表してもいいのかどうかもわからないような人間だ。ああ寂しい。寂しいなあ。たった1人でずっと寂しかったなあ。ただ寂しいということをまっすぐ伝えただけでこんなことが起きるのかと思った。

 義母は「素直に言ってくれてありがとう」と言ってくれて、初めて本音を話したことでその後の義母とのやりとりが打てば響くようなものに変わっていった。私も「これは一般論か、自分の気持ちか」を意識して話すようになったし、義母も恐らく私の底には寂しさがあり、全ての行動は寂しさからきているのをわかってくれたんだと思う。

 勿論関係性ができていないのに無理に話して傷つく必要はないし、関係性を作りたいとも思わない家族であるなら危険をおかす必要はないと思う。自分の気持ちは、本音は、何よりも大切なものだ。一番脆弱で傷つきやすいものだ。だからこそ思わぬ効果を産むことはある。でも無理せず。あくまで自分を主軸に。自分を大切にするために。自分の気持ちを知るために。生きやすくなるために。

 

 

 先日、コロナが少しだけ落ち着いたタイミングでワクチンも2回摂取したし札幌に夫と息子を連れて帰省した。家族の縁が希薄な私は無理に息子を見せにいかなくてもと思っていたが、夫が「次はいつになるかわからないんだから」と言ってくれて一緒に行くことになった。

 息子と初めての長距離ドライブ、始めての札幌、初めての水族館、初めてのレストラン、初めてのホテル。これだけで本当に本当に楽しくて、息子もはしゃぎまわって夫に何度も捕獲され、夜は興奮してギャン泣きしたが、基本的には本当に楽しそうに日中はぐずることもなく過ごしてくれていたし、祖父母と会った時も愛想よく振る舞ってくれた。

 祖父母の喜びようは想像以上で、可愛い可愛い何でもしていい何してもお利口一緒に遊ぼうと楽しそうに嬉しそうにしていた。私と弟が小さい頃に遊んだ置き物を息子が持っている。不思議な感覚だった。ああそうだ。じいちゃんは子供が好きな人だった。私達は本当に可愛がってもらっていた。きっと、こんな風に。

 大切な息子の存在を心から喜んでくれる人がいる。ただ血が繋がっているというだけだ。でも、目がなくなるほど微笑んで息子を甘やかしまくる祖父と息子の存在を認識して涙を流していた認知症の祖母の姿に、このニコニコしていたずらするだけの子の圧倒的な誰も敵わない力を感じ、感謝した。

 私の人生は血の繋がりなんて何の意味もないと思うことばかりだった。でも、息子がいてくれることでこんなに幸せな気持ちになり、こんなに孝行できたと感じられる。嫌悪感すら抱いていたはずの脈々と続いてきた人間の営みの尊さを思った。

 祖父母の姿に感動した私は、母との確執は一旦置いて息子を母と弟に見せたくなった。我ながら信じられない心境の変化だった。でも不思議なほど心は凪いでいた。母との関係をよくしようとか、何か話そうとかは全く思わない。許す気もない。でも今はそんなことは余所に置いて息子を見せたくなった。

 結果、何の連絡もせずに行ったので母は仕事で不在だったが遅番だった弟が実家にいたので弟と息子と実家近くの公園で遊んだ。息子の妊娠中に亡くなってしまった犬と散歩した公園。1人になりたい時にぶらぶら歩いた公園。何千回も登った家の前の坂道。そこで息子が遊んでいる。遊具に乗って笑っている。天気のいい日だった。暖かかった。眩しかった。何もかも眩しかった。

 弟と一緒に写真も撮って、近況報告もして別れた。今朝までの私とは違った人間になったのを感じていた。

 

 今年息子は3歳になり、幼稚園に通い始める。こんなに小さな愛のかたまりのような甘ったれの子が幼稚園に入った時から、社交的な子、内向的な子、乱暴な子、癇癪持ちな子、気が合う子、合わない子という小さな社会に入ることになる。保育園に通っている子は勿論もっと早くに。人間が社会の汚さや不条理さや不平等さに晒されずにいられる期間は実は本当に短い。永遠に続くと思われた母と子供の蜜月の期間は、長い一生の中で本当に本当に短い。

 親子の愛情とは、育児とは砂時計のようなものだなと思っていた。まだ全く砂が落ちていない頃は愛がたっぷりで、一緒にいられる時間、触れていられる時間がたっぷりだけどぎゅうぎゅうで苦しい。一切の余白がない。少しでも砂(時間)が落ちてくると少しずつ息をするのが楽になって、気付いた時にはもう両手を広げられるほど自由になるが、あんなにべったりだったこの子と四六時中一緒にはいられなくなっている。

 私という砂時計の器が大きければこんなに苦しくはないのかもしれない。息子が満たしてくれる砂の量は同じでも、違う器だったら彼ももっと伸び伸びと過ごせたのではないかと思ったことは一度や二度ではない。

 でも、彼の瞳はいつも愛で満ちている。母は不完全だが、子供はいつも正しい。命を絶対に失わないという本能、人間は愛されなければならないとう確信。命が少しでも危険に晒されれば泣き喚き、愛されて構われ続けないといけないと全く疑わず信じている。ただ生きているだけで自分の価値を知っている。その彼が、全力で私を肯定してくれる。全力で愛して、大好きだと伝えてくれる。この世界一ありがたい存在の目を通してみれば、自分の小さくて歪んだ器さえ愛おしく感じる。

 世界は醜いことも悲しいこともどうにもならないことも溢れているのを私は知っている。息子に見せるに値しないものばかりだと思う。でも、彼があの大きな美しい瞳で、自分にとって大切なもの、愛せるものを見つけて大切にできるように願う。そのためにできるだけ私は世界の美しさと優しさを伝えていきたい。

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