アリとキリギリスのキリギリスは本当にダメか

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日本では「まじめに備えないと大変なことになるよ」という戒めで語られる童話、アリとキリギリス。

もちろん見習うべきはアリで、キリギリスみたいに享楽的な存在は「怠惰」とされる。

しかし、これがブラジルでは「見習うべきはキリギリス」として語られてるのは知っているだろうか。

 

美しい衣装を着て、四季の美しさを感じ、素晴らしい歌にして歌うキリギリス。うっとりと聞きほれる他の虫たち。その隣で「よく歌なんて歌っていられるな。冬が来たら死んでしまうんだから食べ物を集めないと」とせっせと食べ物を集めるアリ。

冬が来て、キリギリスは空腹で倒れてしまう。

アリに食べ物を求めると、アリは「私が一生懸命食べ物を集めていた間、あなたはなにをしていたの?」と問う。

「人生の美しさ、友情と、すべての虫の連帯の美しさを歌っていたの。わたしの歌は子供たちを幸せにして、恋する若者たちの心を燃え立たせたわ」とキリギリスは応える。

アリは自身の愚かさに気づき、キリギリスを迎え入れ、食べ物をふるまって楽しく歌って踊って冬を越えるというストーリーになるらしい。

 

参照:https://doctor-ls.com/2012/0420/2334/

これを知った時、私は「そう!!そういうことなんだよ!!」と思った。

アリも、キリギリスも、どっちも必要だ。

どちらを見習うかは聞いた方の価値観にゆだねればいい。

日本はあまりにも「アリ=いい、キリギリス=ダメ」の価値観に寄りすぎじゃないか?

 

芽を出した草の匂いと花の息吹と、強い風に揺れる広い広い青空に伸びをしたくなるような春の日も、

ギラギラと照りつける太陽がキラキラと緑を揺らし、何もかもが色の濃さを増して、美しい入道雲を見せる夏の日も、

高くなった空に、美しい夕暮れに、肌にひやりと触れる風に寂しさを感じながら紅葉に目を奪われる秋の日も、

薄く氷が張り始めた水たまりに、白くなる息に、うっすらと空を覆う冬の雲に、肩をすくめながらもすがすがしさを感じるような冬の日も。

 

ただただ下を向いて食べ物を集めて、「冬死なないために」生きるアリ。

その生き方って楽しいの?!ってずっと思っていた。

確かにその生き方は必要だ。アリも立ち止まってキリギリスの歌を聞いたこともあるかもしれない。労働とはそんなものなのかもしれない。

でも、それを「正しい」と刷り込むのはどうなの?!と今育児中なこともあって強く感じる。

 

大切に大切に日々の移ろいを感じて、表現して生きていきたい。

そういう人の感受性を、こんなに四季が美しい国なのに軽んじすぎじゃないかと思うわけだ。

 

それに、アリ的な労働だけが安心な世界は終わった。

この童話の示す「冬」は「老後」や「病気」「不測の事態で働けなくなった場合」を指しているんだろう。

でもですよ。「毎日まじめに働いていれば老後は安心」な時代は随分前に破綻している。

今必要なのは「賢い備え」だ。自ら知識を取りに行き、実行する人でなければ備えは十分とはもう言えない。

老後2000万円問題と言われて久しいけれど、「毎日余計なことを考えず真面目に休まず働いていれば老後の資金を用意できる」時代はもう終わったんですよ。

今老後の金策に困っている人の中で真面目にやってきてなかった人いる?ほとんどいないと思う。真面目に、「大人に」教わった通りに頑張ってきた人ほど馬鹿を見ているようで歯がゆい。

 

誰しも自分の中にアリもキリギリスもいないと耐えていけない世の中なんだと思う。というか元々生きるってそういうものなんだと思う。だから世界中でこの童話が愛されていて、色んな解釈で使われているんだと思う。

よって、「アリ的な労働がうまくできない私はダメだ」と思っている人がいたら「そんなことはない」と言いたい。

 

私は完全にキリギリスタイプだし、そのことに劣等感を感じていた。今も不真面目でルーズで享楽的な自分はなんて自己中な人間なんだろうと思う。

でも、そんな私の言葉で何かを感じてくれる人がいたり、楽しんでくれる人がいたりする。その人数は問題ではないと思う。

 

かといってあまりにもキリギリスに寄っているから周りにアリに寄っている人がいてくれないとお腹がすいて倒れてしまうので「そこ、頼むよう」と思ってもいる。

その「頼むよう」に嫌悪感を感じていたし、1人で生きられない自分はなんて愚かなんだと思ってきた時代が長かったし、享楽的なキリギリスでも稼げる方法を模索してなんか色々やったりするけど、結局キリギリスにもアリ的な要素は必要で、それが全然ない私みたいな人は「我慢してやる」しかないし、「できない時は人に頼る」しかない。この2つしかないことに気づいて、だいぶ生きやすくなった。

 

「世界にはアリも、キリギリスも、それ以外もいていい」という考え方で生きやすくなる人がいたらいい。

そもそも人間は何かの枠にはまって生きられるほど賢くも器用でもないと思う。

 

私は今日もキリギリス的に風の匂いを感じて、こうして何かを書くし、

アリ的な要素が強い方は真面目にコツコツ働いて、でもどこかでサボって、たまにキリギリス的な要素が出てきても自分を愛して絶対に報われてほしい。

 

ちなみに私は昨日2時に寝て9時半に起きて1時間ドラクエをやってこれからラーメンを食べます。

そんなものよ(笑)

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