生まれて、すみません〜誕生日に思い込みと向き合う〜

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私のスピリチュアルの先生、松本 綾子(あややん)のセッションの日。

(あややんと私についてはこちらの記事をどうぞ)

 

なんだけど、ホテルのWi-Fiが全然つながらず、

7分もお待たせした挙句、スマホでやっても途中で落ちた。

時間がない中申し訳ないと思いながら結局4Gでやったんだけど、

「この思い込みを解除することへの抵抗がすごいね」と言ってくれた。

 

そうか。これは抵抗なのか。

 

  

今回解除してもらいたかったのは強迫性障害のこと。

 

私は今月に1回はホテルに泊まり、東京と北海道を行き来する生活をしているが、

実はそのたびホテルの水回りを掃除しないと気が済まないという強迫症状が出ていた。

トイレとお風呂を必ず毎日自分で掃除する。

 

どんなにやっても、やればやるほど気になるのはわかっているのにやめられない。

10年前は1日3時間くらいほこりとりしていたから、

だいぶ楽にはなっているんだけど。

体調が悪かったり疲れていると余計出るので、

インフルエンザで意識が朦朧としながら掃除していたこともある。

 

 

これを取りたい、と伝えると、

「そういう症状がある人って『役に立たなくてはいけない』

っていう思いが強いんよね」

と言ってくれて、

最近まさに私が思っていたことだと思った。

 

価値提供できないなら私に価値はない。

今思うと、だって「私」自身に価値がないんだから

提供できるものにしか価値がない、っていう意味だと気づいた。

 

 

「強迫症状が出ているときの自分ってどんな感じがする?」

と聞かれて、

掘っていくと、

 

「私に楽しむ価値なんてないよ」

「休む価値なんてないよ」

という言葉が出てきた。

 

「イロちゃんが今日入ってきた瞬間に『孤独』ってみえたんだよね」

「3歳、7歳、17歳、23歳、25歳・・・、何かこの頃でその思い込みに関係するような、思い当たることある?」

と聞かれて、

 

「私が4月生まれ、弟が1歳下の11月生まれで、

弟が生まれて周りがみんな取られちゃったようですごく寂しくて、

弟がまだ生後1か月のクリスマスに、

ケーキに飾ってあったヒイラギの葉っぱのとがったところで弟の顔を刺したことがある。

『あの時は化け物だと思った』って母に言われた。

 

あと、5歳か6歳の幼稚園生の頃、

4歳くらいの弟にふざけてドアをぶつけて顔をケガさせて縫うことになった。

今でも弟の顔にはその時の傷がある。

だから、私はヤバい奴なんだな、ってずっと思ってる」

 

と伝えた。

 

 

そこから導き出した私の自分への思い込みは

「私は嫌われて当然だ」というもの。

 

「生まれて、すみません」

頭に浮かんだのはこの言葉だった。

 

「愛を欲しがってごめんなさい」

「ふざけてごめんなさい」

「許してください」

 

この気持ちがずっと、私の根底にはあった。

そのことに初めて気がついた。

 

あややんにブロック解除をしてもらいながら、涙がすごく静かに流れた。

 

出てきた言葉は「愛したい」だった。

そのことをあややんに伝えると強く頷いて、

 

「イロちゃんは本当は自分を愛したいって思ってるんだよ。

でも自分を愛することを禁じているんだよ。

だから洗っても洗っても取れない。それは汚れじゃなくて自分への嫌悪感だから。

愛してもいいんだよ。

どんなことをしても自分を許してあげて」

あややんの言葉を聞きながら涙が止まらなかった。

 

「まだ小さいイロちゃんにはわからなかったと思うけど、

1歳半で弟を傷つけてしまった時に、

周りの人の顔色とか反応とか声とかで感じ取ったんだと思う。

その時感じたことで今でも自分を罰している」

 

「イロちゃんは『愛して欲しい』までいってないんだよね。

『許して欲しい』。許してくれればいい」

 

本当にそうだった。

私は究極、「私の存在が誰かの迷惑にならなければいい」と思っている。

でも同時にそんな自分に不一致を感じているから、

つい人の感情を波立たせるようなことを無意識で言ってしまう。

そのことにもやっと気がついた。

 

かつて夫に

「あなたは話すと人から嫌われるんだから話さない方がいい」と

言われたことがあったことを思い出した。

あれは私が言わせていたんだ。

というか、大いなる力が、私に気づかせるために夫の口を使って私に聞かせたんだ。

「話すと人から嫌われるという思い込みがあるよ」と気付かせるために。

 

そんな話をポツポツしていて、突然思い出したことをあややんに言った。

 

「私がまだ幼稚園の頃、母が昼寝していて、

私が母に大きいタオルをかけたかったんだと思うんだけど、

見つけられなかったか運べなかったかで、

母の体にたくさんフェイスタオルをかけていたことがあったんだって。

『あの時はかわいかった』って言われたことある」

と言うと、

「そう。そうしてイロちゃんはずっと貢献したかったんだよね。

役に立ちたかったんだよね。そんな風に人の役に立とうとしているんだよね。

健気で、微笑ましくて、プロなんかじゃなくても、頼れなくても、

愛おしいんだよ」

と言ってくれてまたボロボロ泣いた。

 

「あと、どうしてそんなに推しのことを強烈に愛しているかだけど、

自分を愛するのを禁じているから、愛の行き場所がないんだよね。

愛する対象が必要なんだよね」

と言われた。

確かにそうだ。

私は彼をもう1人の自分のように思っている節がある。

それは似ているとかそういうことではなくて、意味がわからない自己犠牲的な温度で

「私は幸せになれなくても私の分まであなたは幸せになって」というような感じ。

よく考えればおかしい。

勝手に愛しているし、どっちも勝手に幸せになればいいのに。

そこにも初めて気がついた。

 

 

「30年以上、お疲れ様でした」と言われた。

本当だ。ずっと、1歳半から共にした思い込み。

私の半身とも言えるものを、長い時を経て手放した。

その直後FBを開いてみると、

共に学んだ仲間たちが、それぞれ行っていたことに一区切りついたと書いていた。

嬉しい。同じ日に大事な節目を迎えた人が身近にいることが嬉しい。

 

セッションを振り返りながらメモを書いていったら、どんどん色んな答えが出てきた。

 

ずっと強迫が治らなかったのはなぜなのか。

私には罰が与えられなくてはいけないから。

私に罰を与える存在が必要だから。

強迫が必要だったんだ。

今も強迫は残っているけど、本格的に手放す日も近そうだ。

もう私に罰は必要ない。

必要であれば与えてくれる他人がいる。

 

「役に立ちたい」という思いがあるものの、

なかなかそれが報われない人生だったけど、

今思えばやっと「役に立ち始めた」営業の仕事を始めて、

好成績をキープできるようになって来た頃に強迫が始まった。

あれは「役に立ち始めた私」に「勘違いするなよ」ってバランスを取るためだったのかもしれない。

 

「私にとって望ましい形で役に立ってはいけない」

「私は弟を傷つけた化け物なんだから」

ずっと無意識でそう思っていた。

 

本心で望まない形でめちゃくちゃ役に立っていたのは妊娠中と息子が赤ちゃんの時だ。

あの時ほど私が「役に立っていた」時はないだろう。

私以外妊娠することはできないし、私以外「母」にはなれない。

だから育児も家事もやらなければいけない。コロナで外に出られなくても。

どう考えてもものすごく役に立っていたし代替不可だ。

でも全く幸せではなかった。

 

この事実から気がつくべきだったんだ。

私は「〇〇ができるから」愛されるわけではないことに。

許されるわけでもないことに。

 

私はふざけていいし、愛されていいし、欲しがっていい。

 

 

 

その日はあさぎさんのパーティーの日だった。

神11の方々が集まり、そうそうたるアサギストたちも集まる。

この日に、あややんのセッションを受けられたこと。

本当に必然だった。

 

まだ私は人見知りで、自分のことばかりで、

人と接すると自動的に許して欲しいと感じてしまうけど、

あのセッションの後だったから、そんな自分に気付けた。

 

 

ありがとうあややん。

あややんのセッションや講座は人生が変わる。

それは技術とか知識だけではなくて、あややんの人柄、越えてきたもの、

周囲へのアンテナの張り方の奇跡的なバランス。

奇跡を起こせる人。

 

 

私は、私の中の小さな私をやっと迎えに行けた気がする。

 

それから数日経って、

2024年4月21日、

今日は私の誕生日。37歳になった。

今日これを書くことで、今年の目標を明確にしたい。

 

東京出張を終え、家に帰ってくると、テーブルの上に息子が描いてくれた母の日の絵が置いてあった。

 

まだたったの4歳なのに、とっても上手に描けるようになって。

私は月のうち1週間くらいは家にいないし、いる時も部屋にこもって昼夜問わず仕事をしている。

家事もほとんどしていない。

でも、息子は私のことが大好き。

こんなに愛をもらっていたのに、私はその愛に気がつけないこともある。

私は愛されていい。自分を愛していい。

その答えをもらったようでボロボロ泣いてしまった。

 

私は自分を愛する。

あややんに言ってもらった通り、2024年の私のテーマは自分を愛すること。

自分を愛することを始めてみる。

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