今回から「実際私の生活が推しによってどう変わったか」を物語仕立てで書いていきます。
Twitterを始めてからの話にしようかと思ったけど私の人生そのものを根こそぎユンギが救ってくれたのでほとんど私の半生を語る内容になります。
今回はユンギは出てきません。
私とユンギの出会いは↓の記事をご覧ください。
「キャッチーにしちゃえ!!」と思って上記のタイトルにしたけれど、
Twitterで出会った大切なお友達を「6000」という数値で表記することに嫌悪感を感じる方がいたらごめんなさい。
でもね、私生きてきてこんなに沢山の人に認知されたことなかったの。
いてもいなくてもどっちでもいい存在として生きてきたの。
だから、フォロワー数っていうのは私にとって
「頑張ってきた証」でもあるし
「継続してきた証」でもあるし
「私という人間が愛されているという証」だとも思っているの。
だから、この6,000人の方々に本当に感謝しているっていうのは知ってほしいです。
みんないつも見てくれてありがとう。
人生のどん底で推しに出会ってフォロワー6000人になった私
あと20年ここで我慢だ。
毎日絶望しなおすような日々だった。
だるい体を引きずるようにベッドから起きる。
隣には可愛い息子の笑顔。
この子のために私はここで頑張るのだ。
いや、違う。
この子のせいにするな。
私は一人で生きる自信がないだけだ。
私の人生は本当に何も成し遂げたことがない。
小さい頃は賢くてかわいいと言われていた。
本を読むのが好きだったし勉強もできた。
でもいつからか、世の中は私にとって生きづらいのが当たり前の世界だった。
友達が何を考えているのかよくわからない。
「ワガママだ」「言葉がきつい」と言われ、
協調性がないのでテストの点はいいはずなのに通信簿は良くなかった。
小学校に入る頃には気付いていた。
この世の中は生きにくいことを。
大人になっていくにつれて私は可愛さも賢さも失っていった。
周りにはもっと賢い人も可愛い人もいくらでもいる。
「中の上」かもしれないけど「中の上」に何の意味があるだろう。
やたらと高飛車な私はごく平凡な自分を受け入れられないでいた。
家庭環境も悪かった。
14歳の時に両親は離婚し、慰謝料の代わりに家のローンを払うと言っていた父は1カ月で逃げた。
毎日イライラした母に当たり散らされる日々。
弱弱しく陰で母の文句を言うだけで何もしてくれない祖父母。
不良に金を巻き上げられて家計を更に圧迫する弟。
「この暮らしは地獄だ」「お前たちなんて産まなければ良かった」と
言われながら暮らしていた高校生時代。
この頃に「わずかな音が気になって眠れない」という体質になり、それ以降の人生でずっとこれが付きまとうことになる。
本当に辛い時代だった。
朝はだるく、起きた瞬間から母に嫌味を言われ、逃げるように学校へ行き、学校でもあまり友達はできず、基本的にうつむいて過ごし、部活をし、家に帰り、夕方は特にイライラした母の逆鱗に触れないよう過ごして夜は隣人のテレビの音が気になって眠れなかった。
小太りで分厚い眼鏡をかけ、負のオーラを纏うやたら色の白い猫背の少女。
それが私だった。
でも演劇部で活動している間は楽しかった。
「声が大きい」という武器しかなかったけど初めて仲間と呼べる人達もできて、自分にもできることがあるかもしれないと思った。
女子高ならではの腐女子多めの演劇部。
ここで私のBL趣味も花開いた。
大学生の頃に劇団に入り、そこで4年を過ごした。
この劇団で食べていきたいと思って本気でやっていたし一生付き合いたい仲間もできた。
「表情が不自然」「感情表現が素直でない」
という大きな欠点を何度も指摘され、私は自分が家庭で行っていた感情表現が社会的には冷たくて不自然なことを初めて知った。
「根性がない癖に欲深い」「あわよくばの意識が強すぎる」「見栄っ張りすぎて上達しない」とも言われた。
私の内面をこんなにしっかりと見て注意してくれた人達と出会ったのは初めてだった。
貧乏で時間がなくて大変だったけど本当に充実していた。本当に私の青春だった。
けれど、また挫折してしまった。
突然自信がなくなってしまった。
少しずつ認められていくことが怖くなってしまった。
認められたことがない私がこのプレッシャーに耐えられるのだろうか。
4年目で責任が増え、後輩もたくさんでき、後輩よりも実力がないことを隠せなくなり、後輩より努力してこなかったことを隠せなくなった。
一番下でいた頃はよかった。もう上達しないと言っている場合じゃなかった。でもどう努力すればいいのかわからなかった。
後輩をメインにした長期公演を前に「結婚するから辞めます」と言った。
多方面に迷惑をかけ、団長は私が抜けるせいで台本の書き直しを余儀なくされた。
結婚しようと思っていたのは本当だった。
当時付き合っていた人は同じ劇団の同期で、1年前に家業を継ぐために実家がある田舎に帰っていた。
プロポーズもされていたし、他人から見たら条件に何の不満もない。
でも私は不安だった。というか、結婚願望が全くなかった。
機能不全な家庭で育った私が家庭を作れるなんて全然思えなかったし、そのために努力するのも私のやりたいことではなかった。
でもかといって他にやりたいこともない。
このまま地元にいても演劇から逃げて適当な職について適当に生きて母みたいに周りに不満ばかり言って何もしない人間になる気がした。
本当にずるいし、自分で責任をとれない人間だ。
結婚を逃げに使い、劇団をやめた。
あまりにも迷惑をかけたので当時の劇団員たちとは一時絶縁状態になった。
一生付き合っていきたいと思っていた人たちだったのに。
逃げに逃げた結果、せっかく手に入れたものも失ってしまって、私に残されたのは結婚だけだった。
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