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夫との決定的な喧嘩の後、夫はしばらく同じ敷地内の実家で暮らしていたが、「やっぱり息子がいるから」と戻ってきた。けれど関係は今まで以上に冷え切っていた。
その環境に耐えきれず、鬱の体調不良と睡眠不足と神経の高まりと強迫行動で何もできなくなっていた私は「夫婦関係の問題 カウンセリング」で検索してとあるカウンセリングルームに通い始めた。
初回、カウンセラーさんに「あなたは今閉ざされた光のないところにいると思っておいでですが、一歩外に目を向けるとものすごく広い世界が広がっているんですよ」と言ってもらえた時、自分でもなぜかわからないくらい泣いた。
ずっと閉じ込められて、常に怒りと恐怖に触れて、「こんな所にいたくない」という気持ちすら誰にも認めてもらえなかったのを、初めてアドバイスもなく、怒りもなく、共感してもらえ、肯定された。
「余計なアドバイスをしてくるじゃないですか、皆。でも、そんなことわかってるんですよ。全部わかってるけど動けないんですよね」と私の気持ちを代弁してもらえるような経験を久しぶりにした。結婚して以来ずっと、誰に何を言ってもぽかんとされていまいち理解されなかったけれど、やっと言葉が通じる人に会えたと思った。
そして月に何度かカウンセリングに通うようになり、夫との不仲、産後鬱、眠れないこと、毒親育ちで親のトラウマがあること、強迫、音が気になることを相談し、都度ワークを行ったり親身に話を聞いてもらって少しだけ、外の世界と触れることで「外にも世界がある」こと、私は元々「外の世界で生きていた」ことを思い出せるようになってきた。
私と同じく旅行が好きなカウンセラーさんと、どこが一番良かったか、コロナが終わったらどこに行きたいかを話すのは楽しかった。
「イロさんはせっかく色んなものがお好きだったならそのことを思い出すためにできるだけ楽しいインプットをされた方がいいですよ。言語化能力もとてもおありで、その力をそのままにしておくのはもったいないから、何かアウトプットもされたらいいと思いますよ」と言っていただいた。
そうだ、確かに私は楽しくて脳が刺激されるようなものを求めていた。
そこから大好きだったミュージカルドラマ、gleeをまた最初から見始めたり、映画を見たり、あとなぜかとても見ているとリラックスできる韓国のモッパン動画(色んな食べ物を食べるだけの動画)を見始めたりした。もちろん一本まるまる見られることなんてほとんどない。授乳しながら、5分でもこまごま見た。睡眠不足で頭が働かず、読書は集中できなかったからやめた。楽しかった。なんだか深いリラックスを味わったような気持ちにもなった。家で楽しい、安らぐと思うなんて本当に久しぶりだった。
そんなある日、きっかけは忘れたが私はBLが好きだったことを思い出した。
しまいこんでいたBL漫画やBLCDを引っ張り出し、そのうちの一つに私はのめりこんだ。
改めて聴くとものすごく好きなBLCD作品があった。その作品は主役二人の悲劇的で排他的で二人にしか理解できない世界で残酷に愛し合っている姿が美しかった。
卒業を控えた高校生と十歳以上年上の美術教師の恋。
私はその二人の恋の唯一無二さ、紡がれる言葉のたくみな美しさ、醜さ、不器用さに掘れば掘るほど魅了されていき、考察のため何度も何度もCDを聴いて、小説化されているものを読んだ。
ギリシャ神話や日本の大正文学の、現代の倫理から見れば信じられないような恋が好きだった私にはその世界観はぴったりと合った。
もっともっとこの世界に浸りたい。
CDを何度も何度も聴き、書籍を穴があくほど読み、言葉一つ一つを暗記するほど掘っても足りない。CDは三枚、書籍は四冊。圧倒的に物量が足りない。
でも、BLCDという狭い界隈で、既にBL作品として出されているものの二次創作やブログは多くない。
それまでBL界隈にいて、「好きな作品ができたらpixivで検索して二次創作を漁るもの」と思っていた私はどうしたらいいのやらわからなくなっていた。
そして、私は思い出した。
演劇をやっていた頃に宣伝のためにアカウントを作って以来数年放置していたTwitterがあることを。
Twitterをちゃんと使ったことはなかった。
演劇をやっていた頃はmixiがものすごく流行っていて、インターネットでの繋がりや情報収集と言えばmixi、facebook、YouTube、ニコ動、ブログ以外に触れてきていなかった。
とはいえこれらを探しても仕方がないのだから噂に聞くTwitterの密林に飛び込んでみよう。
そう思って何気なく作品名、カップル名で検索すると、そこには夢の世界が広がっていた。
なにこれ。
この作品について語ってる方がこんなにいる。
わあ、なにこれ。この方の考察大好き。愛が深い。最高。この作品にこんなに狂っているのは私だけじゃない。最高。うわうわ、お友達になりたい。こんな風に好きなものについて語り尽くしてみたい。
私とTwitterの邂逅だった。
こうなったら即行動だ。
すぐにBL用アカウントを作り、熱量たっぷりのツイートをしている方々を片っ端からフォローして、挨拶のDMをした。
狭い界隈だったからか、皆さん「ようこそこちらの沼へ」と言わんばかりにウェルカムですぐに仲良くしてくれた。
生活が一変した。
毎日何度もTwitterを開き、大好きな作品について大好きな人達と語り合い、時にボケ、ツッコミ、楽しく交流した。一日何度もツイートして、反応をもらえ、それまでインターネットで人と繋がったことの無かった私が、今までのどんな人間関係よりもディープな関係を作ることができた。今までの数年分を取り返すように笑った。
更に、毎日ツイートして何かを書くことで、「私は何かを書くことが好きだった」ことを思い出した。
ツイートで人と繋がり、誰に宛てたものでもない空へ投げた文章でも誰かが受け取ってくれる。その心地よさはそれまで味わったことのないものだった。
言葉が何度も何度も地面に落ちて受け取ってもらえなかった時代が長かった私は、「誰かが受け取ってくれる」ことがありがたくて仕方なかった。
もっと色んなものを書いてみたい。そして、できれば色んな人に見てもらいたい。もしそんなことができれば、それはこんなに何もかも上手くいかなかった私の人生でも、確実に私の力でやったことで、最も嬉しい経験になるだろう。
その内、当時WEB飲み会が流行っていたのでやりましょうということにもなり、とても仲のいい人ができた。その方に、「実は今この作品の二次創作を書いてみようと思うんです」と言ったら読みたいと言ってもらえ、pixivにアップしてみたら「ものすごくいいです!!」ととても褒めてもらえた。
この方(Aさんとする)は当時四歳のお子さんを育てていて、ママとして色々相談に乗ってもらったり、「ママだけどBLは好きだしエロいことも好き」とさっぱりと認めていて、私の「母親になったんだからBL推しってどうなんだろう」と思っていた気持ちをほどいてくれた。
Aさんと何時間も話すのはとても楽しかった。
私の書いた二次創作小説は他のフォロワーさんにも「イロさんのめっちゃいい!!」「もっと書いてください!!」と褒めていただき、嬉しくて嬉しくてどんどん書いた。
自分でも不思議なほど次から次に書けた。
作品が難解で言葉の使い方がとてもたくみなものだったから、文章の書き方の勉強をするために色々な本も何とか読み始めた。
少しでも作品へのリスペクトが文章から伝わればいい。私の美しいと思うもの、尊いと思うものが行間に滲めばいいと書いていく作業は今まで生きてきて最も「私に向いている」と確信できるものだった。
「イロさんの書くものには温度と匂いがある」
とAさんに言ってもらえたことがあって、生きててよかったと思った。
私がTwitterの世界に夢中になることで、息子と笑顔で接する時間も増えた。
私がBLにはまり始めた生後九ヶ月の時に、息子は初めて一晩通しで寝た。
息子の隣ではじめて六時間寝れた日のことは忘れられない。
体が羽根のように軽くて、今までの体調不良はやっぱり寝不足だったのだと安心した。何度も何度も息子にキスをした。息子は満面の笑みで笑っていた。
そうこうしているうちに離乳食が進み、立ち、歩くようになり、喃語も話し始めた。
息子はおしゃべりで、一歳になる前には「ママ」と言った。
むちむちの小さな体で元気いっぱい遊び、好き嫌いせず、日に日に大きくなる息子にようやく子育ての幸福感も感じ始めていた。
一歳の誕生日を迎え、夫が息子に赤ちゃん用のケーキを作ってくれた。
部屋をできるだけ飾り付け、息子と家族の楽しい一日を過ごした。
一歳の記念に写真館に写真も撮りに行き、その写真は今でもリビングに飾ってある。
こうして私に少しだけ余裕が出てきたのと、人と関わること、人ときちんと話すこと、会話のキャッチボールを思い出した私は、ダメもとで義母さんに「夜ゆっくり寝たいので息子を預かってくれないか」と聞いてみた。なんと義母さんは快諾してくれた。
話してみると義母さんは何度か夜預かろうと思ったが、私が嫌がりそうで躊躇していたらしい。
なので喜んで息子を預かってくれ、週一回息子をお泊まりさせてくれることになった。これは本当にありがたかった。
毎週日曜日は夜息子を義母さんの家に連れて行き、寝かしつけ、自宅に戻ってゆっくり寝た。
このことで私の体調とメンタルは劇的に良くなった。
息子がなかなか寝なくて家に戻るのが十一時頃になることもあったが、そこから少し夜更かしをして好きなことをした。
元々夫が週に一回出張で外泊なので、この日だけは私の一人の時間を持てた。
夫との関係は改善したとは言えなかったが、カウンセリングに通い続け、カウンセラーさんと色々なことを話し、色んな視点に触れ、Twitterで様々な人と交流することで、私の世界はもうこの狭い部屋だけではなくなっていた。
部屋の四方の壁が倒れ、どこまでも広がる荒野と、抜けるような青空が広がったような気持ちだった。
「好きなものを見つけた」ことから人生がいい方向に嘘のように転がり始めたのだ。
けれど私にとって、そこはまだ道しるべのない荒野だった。
日によって激しく荒れ、どこを目指して歩けばいいのか、留まればいいのかわからない。
今思えば結局私はその取り払われた壁の内側で、ようやく見えるようになった外を見て、羨んでいただけだったと思う。
Twitterの当時の使い方は、ほとんど相互フォローでフォロー・フォロワー共に百人ほど。
そのBL界隈の方とはほとんど繋がっていたから、その界隈でその作品単体推しで沼ってる人は恐らくこれくらいだったんだろう。
仲がいい人もいれば、ほとんど絡みのない人、あまり良く思われていなそうな人、色んな人がいた。
けれどみんな大人でマナーはとても良く、表立って悪口を言うような人はおらず、つかず離れずプライベートに干渉しない居心地のいい場所だった。
私はたまに二次創作の小説を書き、仲のいい方々とWEB上でお話をして(もくりというアプリを使っていた)、BLのこと、子育ての悩みや生活のこと、他に好きなこと、ものについて話して楽しい生活を送っていた。
年が明けて2021年になったある日、Aさんから
「BTSにハマったんですよ」と言われた。
「私はテヒョンっていう人が好きなんですけど、ジョングクっていう子も本当に顔が良くて、というか全員めちゃくちゃかっこいいんですよ。私ちょっとアイドルに偏見あったんですけど、歌もダンスも本当に良くて、出ているコンテンツも全部面白いですよ」と言われた。
私もずっと漫画やアニメのオタクをしていたので、現実の男性を推したことはなかったし、元々ハンサムに全然興味もなかった。
女性アイドルはずっと好きで、KPOPだとTWICE、ITZY、MAMAMOO、BLACK PINKはよく聴いていたしMVも見ていた。
TWICEに関しては彼女らがデビューするまでのオーディション番組、SIXTEENも見ていて、全員大好きだった。
YouTubeでも韓国人女性のモッパン動画をずっと好んで見ていたし、韓国は大好きだった。
でも、KPOP男性アイドルのMVはひとつも見たことがなかった。全然興味なかったのだ。
「Dynamiteでアイスクリームカーの前で歌ってる子が推しなんですけど、是非見てみてください」
と言われ、「Dynamiteは聞いたことがあるな」と思って何気なくYouTubeで再生してみた。
開始と同時にとんでもないハンサムが出てきて、「はわわ」と思っているうちにものすごく聴き心地のいいアップテンポな曲にすぐに惹きこまれた。
マイケルジャクソンをイメージしたと思われる振り付け、抜群のスタイルのアイドルが踊り歌う実力の高さに「さすがKPOPだ」と思いながらも、少し斜めに見ていた。
「こりゃ売れるわ」なんて偉そうに思いながら、例のアイスクリームカーが出てきた。確かにとんでもないハンサムだ。何この横顔。こんなにハンサムなのにちょっともっちりしててセクシー。これがAさんの推しかあ、なんて思っていたら。
長身の青髪の男性がマイクを構え、カメラがパッとその後ろのバスケットボールコートの男性を抜いた。
全身が目になったようだった。
真っ白な肌
優し気な瞳
小さな歯
薄い唇
童顔なようで、スタイルはしっかり大人の男性
セクシーな声
とても小顔で、とても美しい人。
どこかで会ったことがある、と最初に思った。
それくらい、一瞬で彼に心を奪われた。
その後も続くDynamiteのMV。夢中で彼を探した。
This is getting heavy
段々高まる熱気
Can you hear the bass boom, I’m ready
鳴り響くベース聞こえるかい 僕は準備完了
Life is sweet as honey
人生は甘い蜂蜜のよう
Yeah this beat cha ching like money
このビートは豪奢な音がする
‘Cause ah, ah, I’m in the stars tonight
今夜僕は星の中にいるから
So watch me bring the fire and set the night alight
僕の火花でこの夜を明るく照らすのを見守って
Shining through the city with a little funk and soul
ファンクとソウルでこの都市を灯す
So I’ma light it up like dynamite, woah
煌めかせるよダイナマイトのように
life is dynamite
人生はダイナマイト
彼との出会いは正に様々な色をまとった爆発だった。
彼の名はユンギ。長い長いトンネルの中にいた私の人生の夜明け。
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