こんにちわ。イロよ。
鬱と強迫性障害を患って10年越え。もうベテランな私がTwitterで色んな方のお悩みをいただいたり、様々なメンタルの症状を抱える方のツイートやブログを読んでいて最近ものすごく思うこと。
「メンタルを病んだ人がメンタル弱いわけなくない?」
私自身が上記の病名がついていなければそうは思わなかったかもしれないんだけど、当事者として何年も病気を抱えて思うのは、
ああ、これって本当に他の病気と一緒だってこと。
鬱というと元気がなくて表情も暗くて溌溂としていないイメージがあるけど、
これ、逆なのよ。
体調が悪いから元気がなくて表情も暗くて溌溂とできないの。
鬱の時って具体的にどう具合が悪いかというと、個人差はあるけど私はだるくて目が重くてめまいがして頭が痛くて疲れやすくなる。ただ横になっているだけで疲れてしまう。
めまいがしてつねに吐き気があるから食欲もない。だるくて動いていなくて体は疲れていないから眠れない。性欲も減退する。というかあらゆる欲が減退する。
こんな状況で溌溂とできる人がいたらそれはそれで問題よ。
「具合が悪い」から、「元気がない」の。当たり前のことだけど。
その順番が逆になっちゃってて、「私は元気を出せない」って落ち込んじゃうことがあったけど、客観視したらそりゃそうだよなって納得できるよね。
鬱は「死に向かう病」と言われている。
食欲性欲睡眠欲は生きるうえで必要不可欠な欲。これが減退してしまうということはゆるやかな自殺ともいえるの。
体が死に向かっているともいえる。意思とは関係なく。
そしてそれは病気なのよ。
病気で体が死に向かっているから希死念慮(死にたいという思い)が出てきてしまったりもするの。
まるで自分が思っているように感じるけど、体がそう思わせているの。
長いこと体調が悪かったらそのことに対して前向きになれなくて当たり前。
そのことについて考えるだけで気持ちが沈むのは当たり前。
これ、私の夫が腰痛持ちで義母が重度の敏感肌だからそれと比べてよく思うんだけど、夫の腰痛と義母の肌トラブルと私の鬱の体調不良、なにも違わないの。
鬱だからって特別何かが劣っていたり、呪いめいていたりしない。
夫は重度の腰痛で走ることもあまりできないし、毎日ゴルフボールを背中に当てて寝てる。そうでもしないと腰の不快感で寝れないから。
義母は季節の変わり目には一日中手袋をしていても手が真っ赤になって痒くて大変らしいし、顔も腫れてしまう時がある。
この話って、「こういう症状があってさあ」って人に話す時に、「私が腰痛持ちだからいけないんだけど…」とか「恥ずかしながら敏感肌で…」とか思わないよね?
「こんな症状があって、こういう時大変で、できたらこういう時こういう手助けをしてほしいんだ」ってお願いされたら多分大体の人はOKだと思うの。
「それは大変ね。もちろんできることは協力するよ」って思ってくれる人が多いと思うの。
メンタル関係のことって、まだちょっと言いにくいじゃない?
でも一緒なのよ。やることは一緒。メンタルのことに引け目があるのは私たち側の問題で、でも手伝ったり配慮してほしいことがあったりして、配慮してもらえたらものすごく生きやすくて心から感謝することってあるじゃない?ワガママじゃなくて。
そこは、言い方さえまちがえなければお願いしてもいいの。いっぱいいっぱい我慢してきているじゃない。いつも。だから身近な人にくらいはお願いしてもいいと思うの。
実は身近な人にも「こういう症状があってこういう風に辛いんだ。でもこうしてくれたらこれくらい楽かもしれない」って提案するのって難しいよね。
だから一回でわかってもらおうとしないで、わかってもらえなくても「あー、これじゃ伝わらないか。じゃあ次はこんな風に話してみよう」って何度も試す前提で軽率に言ってみればいい。
一世一代の決意で「私の症状をもらさずわかってもらってすべて受け入れてほしい」って思ったら相当難しいから、そんなことしない(笑)
たとえば私は色んな話し合いを経て、一番伝わったのは
「鬱の時は眠くてだるくてめまいがするんだ。薬を飲めばそのうちおさまるけどいつおさまるかはしらない」って言ったのと
「強迫が出ている時は自分でコントロールできないから、私の中の強迫が大人しくなるのを待ってるの。手が離せないのは手を離すと倍の強さでまた出てきちゃうから強迫出てる時は大人しくなるまで付き合ってるんだなと思って」と言ったこと。
鬱の要点は
「症状を伝える」
「薬を飲めばそのうちおさまる」
「いつおさまるかは知らん」
という3つ。
強迫は
「自分でコントロールできない」
「大人しくなるのを待ってる」
「手を離すとひどくなる」
という3つ。
これは当事者としては当たり前だったんだけど、当事者じゃない家族は初めて聞くことだった。
(もちろん人によってさまざまな症状があるから「私の場合は」ってことね)
「なぜそうなっているのか」がわかれば残りは想像して動いてくれるし、何が辛いのかも想像してくれる。
「私はだるくてソファに座っているだけで疲れてしまって。もう本当に何でこんな病気になっちゃんだんだろ。ごめんね。家事もできなくて。でもこうしている間もめまいがひどいんだ。ああ、どうしよう。一体いつ良くなるんだろ」
って言われたら言われた方もどうにもならんのよ(笑) 言いがちだけどね。私もずーっとこういう言い方してた。
できるだけポップに。簡潔に伝える。
そもそも病気って多分そんな深刻がることじゃないのよ。腹は立つけどね。
そしてこういうトライアンドエラーって実は他のことでも使えるの。
自分の病気を誤解のないよう伝えて手伝ってほしいことや心構えを伝えてどうしたらお互い心地よく過ごせるか話し合う。
これって「報告・連絡・相談」なのよ。
はい!勘のいいあなた大正解!!!つまりここで培った経験は仕事でも使えます!!
しかも自分の体調が悪い時に必死でシンプルにまとめあげた「報連相」なんて仕事場で座学で学ぶ報連相のなんたるかなんかよりよほど実用的でアレンジが効く。
メンタルを病んだ人がメンタル弱いわけないって思うのはここなの。
さんざん傷ついてこてんぱんにされてるのがメンタルなのよ。
ということはあらゆる辛さをもう知ってるの。場合によっては対策も知ってるの。こんな強みはないのよ。
怪我をしたところって皮膚が固くなって強くなったり、痕がつくけど、
「こうしたら痛めるから気を付けて!」とか「こうしたら被害は最小限で済むよ!」という知識が身につくのよ。
人に教えてあげることもできる。
それは果たして本当に「その場所が弱い」と言えるのか。(物理的には弱いんだけど)
命がけでその場所(メンタル)について考えて、対策を練って、毎日戦ってきている場所が「弱い」わけない。
怪我をしたり手術した場所って癒着したり伸縮性が悪くなったり雨が降ったら痛んだりそもそもなんとなくずっと痛かったりもするけど、それとはもう付き合っていくしかないじゃない。どんな病気や怪我もそうであるように、メンタルの不調も同じこと。
何度も同じような症状に苦しめられては、悪化したりもするけど、「前はこうだったからこうかもしれない」って経験を経てどんどん強くなっていくの。
それは弱いとは言えないと思う。
なんかずーっと腰悪くて腰の専門家みたいになってる人っているじゃない?
私達もメンタルの専門家みたいな顔でドヤりながら「そこはもう越えてきました」って生きていてもいいのよ。
本当にそうなんだから。
自分の生きてきた道、戦ってきた道、辛かったこと、今も辛いこと、多分将来も辛いこと、それを正しく諦めて自信にしてほしい。
諦めるってマイナスに聞こえるけど、「諦める」って「明らかにする」ということなのよ。
そしてもし同じような辛さを抱えている人がいたら「わかるよ」って言ってあげてほしい。
それだけでその人はなんとか明日生きていける理由になるくらい救われるかもしれない。
戦ってきたあなた、あなたは強い。
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