私は幼い頃、とても自己中心的な子供でした。私より可愛がられて見える内気な弟にいつも嫉妬していました。弟がまだ生後二か月の時のクリスマス、当時1歳8か月の私はクリスマスケーキの上にあった柊の飾りで弟の顔を刺して怪我をさせました。自分より愛されている存在が許せない。自分が一番でなくては許せない。その感覚は、今でもべったりと呪いのように折に触れて出てきます。
当時からこだわりが強いところがあって、順番が違ったり、「なんとなくいやだ」というものがあると癇癪をおこしていました。また、言いたいことがあれば言い、本を読むのも大好きだったので語彙も同年代の子に比べたら豊富で、「口の立つ生意気で自己中心的な子供」でした。正直、これは今でも私の人格の中心にいます。
また、幼稚園の頃弟が耳の手術をして泣き喚きながら帰ってきたことと、祖父母と喧嘩した母が祖父母が大切にしている仏壇を壊そうとしたことがあり、その時から「非力なものが痛めつけられる姿」と「争う大人の醜い顔」がものすごく怖くなりました。
学生時代は辛いものでした。両親が不仲で家にいても辛く、学校でもうまく人付き合いはできませんでした。作文などで賞をもらうことが何度かあって、それは嬉しかったのですが正直家族はそれどころではなくて、14歳の時に両親が離婚し、引っ越した先のマンションで祖父母と同居になったのですが、その時に私は父の裏切りを知りました。
慰謝料や養育費を払わない代わりに弟が高校を卒業するまで出すと言っていた家賃を、たった1か月で父が出さなくなったのです。それで物心ついたころから住んでいた家を急遽
出ることになり、家族に無関心だった父も少しは私達を愛しているのではないかという期待はそこでブツリと終わりました。
新しい家で私は騒音が気になって仕方がなくなりました。上階の足音が恐怖で、祖父母と暮らすのもストレスで祖父母を部屋に閉じ込め、あまり出てこないようにと責めました。結果1年ほどでまた引っ越しになり、母からは「あんたのせいでじいちゃんたちと暮らせない。余計な金がかかった」と後に何度も言われることになりました。
引っ越した先では隣人が深夜までTVをつけていて、その音が気になって眠れず、2年ほど苦しむことになりました。今でもこの時病院に連れて行ったり、模様替えをして音が気にならない部屋にしてくれなかった母のことは恨んでいます。今でも騒音に恐怖を感じてどうしようもないのは残っています。私の人生を生き辛くしている大きな要因です。
また、その頃から「女としての母からの嫉妬」を肌で感じるようになりました。自分より若く美しい(当然なんですが)私への嫉妬。「そんな派手な服を着てどこへ行く」「胸の形が見えていやらしい」「お前にロングヘアは似合わない。私みたいにショートにしなさい」など。こういう母の態度は私に「女らしくきれいにしていてはいけないんだ」と言う思いを生み、「女らしい綺麗な愛情をたっぷり受ける人への嫌悪」まで繋がりました。
また、私も母の中の性が許せず、彼氏を家に連れてきて猫撫で声で擦り寄る姿はすさまじい嫌悪感でした。恐らく母は本来性に奔放で男性からちやほやされるのが最上の喜びの人なんでしょう。今ならそう思えますが当時は嫌で仕方ありませんでした。性に関して漠然としたタブー感と嫌悪感はこの時植えつけられたように思います。
母は私を妬んでいる。出来の悪い弟のことは馬鹿にしながらも世話を焼いて、私がいないと無理と依存する。お金を貸せと要求される。大切にしていた本も遊ぶ金欲しさに弟に売られる。何度も喧嘩して私の物をドアから放り投げられて出て行けと言われた。小説家になんてなれない、役者になんてなれない、お前はいつか必ずひどい目に合う。私に地獄を見せているのはお前でお前はいつか必ずひどい目に合う。毎日毎日そんなことが当たり前でした。母は悪いことは全部私のせい。弟は何もできない。祖父母は泣くばかり。他に親戚はいない。大人の知り合いもいない。私の周りには「何かを解決する力と経験」がある人が一人もいませんでした。
社会人になってからは本当に楽しいことが多かったです。21歳で家を出て、劇団に入って舞台に立ったり、色んな所に行って公演をしたり、仲間たちと朝まで稽古して語り合ったり。正に青春でした。
わかりやすい成功もありました。劇団をやめてから就いた営業の仕事で、支店で一番の成績を何度も出して、周りの人に褒められ、期待されていた頃が浮かびます。皆に一目置かれ、(成績がいいからですが)愛されている、必要とされていると感じ、お金も稼げていていいことばかりでした。
(けれど、どういうわけかこの頃から不潔強迫の症状が出始めました。ほこりが気になって一日何度も何度も同じ場所を掃除する生活。それは今でも私を悩ませる大きな問題です。)
また、もう一つ大きな成功と言えるのが去年からTwitterで知り合った共通の趣味の方々に私の(二次創作なんですが)小説をたくさん読んでもらって、嬉しい感想を沢山いただいて、お友達になれたことです。
「あなたの文章には切なさと優しさがありますね」と言って下さった方がいて、私が幼い頃から好きだった本をじいちゃんが毎晩読み聞かせをしてくれたこと、何度も学生時代に受賞していた文章の賞のこと、繊細でこだわりが強くてどうしようもない私の鋭敏な感覚、様々な辛かったことが全部報われているように感じています。
けれど、そこにたどり着くには大きな困難もありました。
子供が生まれる前、切迫早産で入院を合計3ヶ月ほどして外に全く出れず、家の中でも動けず、辛い期間を過ごしました。家に帰りたい。普通に動きたい。子供が生まれる前に気兼ねなくショッピングをしたい。全部叶いませんでした。
生まれたらやっと少し自由になるかと思えば大きな間違いで、とにかく眠れない。3時間ごとに起きる息子に授乳してミルクを飲ませておむつを替えて寝かしつける。これで大体1時間かかります。また3時間寝るとは限りません。寝かしつけもどれくらいかかるかわかりません。深夜だろうが関係ない。長期入院からの帝王切開だから体力なんてゼロでした。とにかく毎日眠れない。常に具合が悪い。息子は可愛いけど正直自分が辛くて仕方がない。その辛さを夫は全く理解してくれませんでした。義母もすぐ近くでサポートしてくれましたが私の気持ちまではわからない。夫はとにかく具合が悪くいつもイライラしている私を見ないようにしていました。息子の世話はしていた方だと思いますが、接待だ出張だでなかなか家にいない。そうかと思えば息子が寝た途端に帰ってくる。いびきはかく。何度も何度も泣きながら喧嘩をしました。コロナで家からも出られない。一度くらい札幌に帰りたい。誰も私のことをわかってくれない。眠れない。辛い。具合が悪い。それをただ、そうかと聞いてくれれば良かったんです。共感してくれればよかったんです。結局夫は私に腹を立てるばかりで口を開けば別れたいと言っていました。物を投げられたこともありました。私も夫を夜中起こそうと足を叩いたことがあります。今すぐ全て捨てて札幌に帰りたかった。
母との関係が良ければ母に相談して私を育てる時はどうだったのか話して楽になれたかもしれません。でも私は母と絶縁しているので子供も一度しか見せていないし相談なんてできませんでした。
息子が1歳になった頃、やっと少し眠れるようにはなったんですが夫との関係は変わらずで、かといって手に職もなく貯金もさほどあるわけではない私は離婚して札幌に帰る決断もできずにいました。そして出した結論は「20年ここで我慢しよう」でした。胸の奥がずんと重くなるような日々でした。好きでもない夫と好きでもない土地で好きでもない人たちに囲まれて暮らす。TVをつければ華やかな都会があるのに。そこにいたいのに、帰りたいのに、できない。そこまで思いきれない。夫が帰ってくるとぴんと空気が緊張して何を食べても味がしなくなる。自分の人生を毎日諦めるような日々でした。
それをどうやって乗り越えたのか。答えはBTSとTwitterでした。
前述したように何気なく始めたTwitterで、何気なく書き始めた二次創作でしたが、沢山のありがたい意見をいただき、というかそもそも家族以外と久しぶりに話し、本当に楽しくて世界が広がりました。仲良くなった人達と色々な話をする中で「そういえば私最近BTSが好きなんだよね」と勧められました。正直、全然興味なかった。でも何気なく見たDynamiteで私の人生が変わりました。もう十分Twitterで得たお友達と文章の自信で得たと思っていたものの何百倍ものものをBTSはくれました。
その大きな要素は「愛し愛され共感してもらうことで満たされる幸福」「どんなにみっともない自分でも自分を愛する練習をしていこう」という2つ。
前者に関しては少し気持ち悪く聞こえると思うのですが、SNSに投稿してくれる時、何か賞をもらったスピーチ、配信でコメントにこたえる時、折に触れて「愛している」と言ってくれるし、ファンが送る愛もきちんと受け止めてくれるのです。メンバー同士も本当に仲が良くてお互いを支えてふざけあって愛し合っていて、双方向の愛が日常的に機能しているんです。双方向の愛を家庭で見たことのない私は、ゼロから愛の与えた方、受け取り方、感謝の仕方、それによって得られる幸福を毎日彼らから教えてもらっているように感じています。心から愛しているし、愛されているのを感じます。こんなに心が愛で満たされることは今まで生きてきて一度もありません。
次に、自分を愛する練習をしていくことです。大切なのは「練習」なんです。「自分を愛そう」というメッセージは世界中で見ますが、醜い欠点だらけの自分をどうやって愛したらいいのかわかりません。彼らは「僕らもそうだよ。でも、ここまでの自分を頑張ったと認めて、許して、ありのままの姿を見て、愛おしいものだと気付く練習をしよう。僕らは大丈夫、あなたも大丈夫、愛してる」ということを歌で、姿で、言葉で伝えてくれます。彼らも自信がない。怠けたい時もあるし才能なんてないと思っている。世界一売り上げるアイドルなのに。でも努力する才能はあるしそんな自分を愛そうと頑張る過程を見せてくれます。そんな人達を見たことはありません。
愛されて、肯定されて、自分の姿を見た時に、随分傷だらけてよく生きてきたなと思いました。まるでよく吠える傷だらけの痩せたボサボサの犬。目だけギラギラして、何かをずっと恐れて、たった一人で、誰にも愛されなくて、肯定もされなくて(そう感じられなくて)、でも誇りを失わずよく頑張ったと、そして、戦い続けた私の姿は醜いけれど決して悪くないと自然に思いました。
また、BTSが好きになってから夫と喧嘩した時、「君は人の好意を受け取るのが下手すぎる。受け取ったことで損をすると思っているのかもしれないけど君の周りの人は君が思っているより君を愛しているし愛情表現をしている」というようなことを言われました。以前なら「そんなことない。私を愛しているならこんなこともこんなこともしてくれるはずだ」という思いが出てきて話にならなかったと思いますが、BTSから愛を受け取る訓練ができていた私は、ふと、思っていることをそのまま言ってみようと思いました。「愛だと思って受け取ろうと手を伸ばしたら『あなたなんかに愛をあげるわけないじゃない』って取り上げられそうで怖いんだ」と。それは何度も何度も母にされたことでした。夫は「そんな性格の悪い人は俺は見たことがないし、とりあえず今ここにはいない」と言ってくれました。そして、私はそれを素直に受け取ることができました。「愛情を受け取る練習を日常的に意識してする」ことが私の自分を愛する挑戦のわかりやすい第一歩になりました。何かを解決したことがない、どうしたらいいかも全く分からなかった私の大きな一歩だと信じています。
TwitterでBTSを通して繋がった人の中にも私のような人が沢山いて、私だけじゃないともっと肯定された気持ちになりました。愛している人達を同じくらい愛する人達と、秘密の価値観で繋がり合う経験も、今までしたことがないものでした。
また、このTwitterで私は意外と面白いことが言えることに気付きました。文章も書けて気の利いた面白いことも言える。弱いものに寄り添って恐怖と悲しみを分かち合って醜い争いに怒ることができる。そんな自分に気付けたんです。今は本当に、こんな自分は悪くない人間だと思うし、人の力になれる言葉があるなら発信していきたいとも思っています。
ちなみに今は美しくすることにも全く抵抗がないし、罪悪感もないし、美しい愛情に満ちた人を素直に素敵だと思います。嫉妬は絡みません。そして、年相応に体型も肌も崩れてきているけど、それはそれとして自分の美しさを信じているし、自分の容姿が好きです。性に関しても色々な人がいるし色々な世界があるし間違ってはいないしタブーでもないことがわかったので、その辺の意識も変わりつつあります。
なぜこれを書いたのか。それは状況は違っても同じような精神状態にある人、この気持ちがわかってくれる人に少しでも届けばいいと思ったからです。ここにこんな私がもがいていて、今は幸せとは言えないかもしれないけど、何とか乗り越えてここにいますと。あなたによく似た私がここにいますと言いたかったんです。
何かが起きる時は連鎖的に何かが起きて、私に絡んでいた色々なしがらみがほどけていくのを感じています。何かがとてもうまくいきそうな予感がしていて、自分のことは信じられる。でも、1年後もそうとは限りません。この先も沢山間違えて自信を失って消えてしまいたくなるでしょう。今手にできているものは何故手にできたのか、そのためには何を努力したのか、この溢れそうな愛をくれたのはどんな存在だったのか、偶然手にしたものではなくなぜそうなったのかがわかっているので絶対に忘れないように。今の自分だけはその時にも信じられるように毎日少しでも明確にしていきたいです。
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