昨日、夫と色々話していて、
また色々頭の整理もできたし、私のやりたいことも見えてきた。
足りなかったことも見えてきた。
そして今日、散歩に出てふと気づいたことがあるから書き留めておきたい。
私は、息子が産まれてから息子を失う恐怖感がとても強い。
どこの親もそうだと思うが、子どもが苦しむこと、悲しむこと、
亡くなってしまう描写などに耐えられなくて数日引きずる。
私はお金の苦労をして、多少食べるものがなかったり
着るものがなかったり
暑かったり寒かったり数日お風呂に入れなかったりしても、
まあ生きていたらそんなこともあるだろうと思えるけど、
息子がそうなってしまったら、と考えると耐えられない。
そして気付いた。
私がたとえどんなに苦労しても、息子を夫に預けていけば、
とりあえず息子が食うに困ることはない。
義母さんもいるし親戚もいるし。
息子を大切に思ってくれる人はいる。
そういうご縁に息子を繋ぐことも、夫は得意だ。
なんて恵まれているんだろう、と思った。
私は、私のことだけ考えていればいい。
最悪死ぬことがあっても私が死ぬだけだ。
なんて身軽なんだろう。
死ぬ時も気掛かりがなく死ねるなんて、
なんてありがたいんだろう。
大切な息子のことを頼れる人がいて、
その人が文字通り命がけで息子を守ってくれる。
私はとてもラッキーだと思った。
そして、私にそんな安心を与えてくれた夫と世界に、
ものすごい感謝が湧いてきた。
このブログもそうだ。
何年も読んでくれている人も、全部読んでくれる人もいて、
「自分のことみたいだ」と思いながら、
大切にしてくれている人がいることも知っている。
振り返れば、私の人生たくさんの人に助けられて、守られてきた。
その人たちに私は何ができるだろう?
「恩送り」という言葉があるが、
その人たちに直接返すことはできなくても、
私はどう恩を繋いでいけるんだろうか?
その視点に立ってみた時、
今の私は誠実ではない。
今の私は愛の存在でもなかったな、と気付いた。
ただ場所を開けておいて、私が私のままでいるだけで良かったのかもしれない。
ありがとう。
私のそばにいてくれて。
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