起業してから2年経ち、
SNSを始めてからは3年半経った。
その間にありがたいことにいろんな人によくしていただいて、
たくさんの人と関わる機会があり、
たくさんの場に行く機会があり、
忙しく上へ上へと過ごしている中ですっかり忘れていたことがあることに気がついた。
私はコミュ障だということを。
コミュ障、というと少し語弊があるかもしれない。
私は初対面の人とも話せるし、
人を笑わせることが好きなので、私の発言でその場にいる人みんな笑うこともよくある。
一対一で話せば好きになってもらえる自信はあるし、
私にかけてくれた時間以上のメリットを相手に与えようとも思う。
一般的なコミュ障とは少し違うが、
決定的な私の特性として、
「人といるのは好きだけど1人の方が好き」
というものがある。
大人数でいる場所はできれば行きたくないし、
3人以上の飲み会も行きたくない。
その理由は、誰かといるとその人にとって
私は今この時間意味がある存在でいられているだろうか?
それだけのことができているだろうか?
という思いがベースにあるからだ。
あと、せっかく人といるんだからその人が深く何を考えているか知りたいし、
どういう美学で生きているかも知りたい。
そのため、たくさんの人がいる場所では私がコミュニケーションに求める結果が得られないことが多い。
そのくせ、人の気持ちは変えることができないから
私に嫌なところがあったらまあ仕方ないですね、
刺さる人に刺さってくれればいいです、という前提があるので
他人にどう思われるかが割とどうでもいいという感覚も持ち合わせている。
(そうじゃないと笑いをとりにいったりはできない。全員が笑うボケはないから)
要は他人の気持ちがわからないし、
他人の気持ちを理解することにあまり興味がない。
だって私たちは1人と1人なんだから、それぞれの価値観と美学をそれぞれ持っていることを尊敬しあって愛し合おうぜみたいな。
だから仲良くなると多分尊敬してくれてるし多分愛してくれてるんだろうからという甘えで
「意味のある存在」でいることを怠けるから、
仲良くなると急に無礼になって嫌われることが昔から多かった。
あと身内を下げることも愛情の型だと思っているから口も悪くなる。
(書きながら気づいたけどこれは母の影響だなあ)
しかもこの無礼になっている時でさえも
「私は価値があるかな?」という恐れ
(恐れがあるくせに面倒臭いから何かするわけではない)
がうっすらと残っているので、仲のいい人と一緒にいるときにうっすらずっと罪悪感がある。
それならいっそ仲良くない方がいい。
仕事上の関係だけで、自分なりに「存在価値」が担保されている自分でいられる状態で一緒にいるのはとても心地がいい。
ただ、身内にはなれない。
本当はそこがとても寂しかった。
でもそれは今この瞬間まで言語化できていなかった。
深く関わると嫌われる恐れがあるのに愛されたい。
つまり一方通行同士の愛ならいい。
そんな私にSNSはとても心地よかった。
「イロ」というSNS上の人格を作った時、
モデリングしたのはマツコデラックスだった。
女言葉で色気があり、姉さん気質で博識。文章が上手で口が悪くても愛を感じる。
そこに私の強火オタク気質とネットミーム的文章の型を載せたのが
「イロさん」だ。
一対多のコミュニケーションは居心地が良かった。
今までコミュニケーションを拗らせていたの入り込みすぎていたからだということにも気がついた。
適度な距離感。適度な関係。
私が「イロさん」でいられる範囲での関わり。
そうなるとそれまでの日常生活では出てこなかった私の輝き?能力が開花して
「イロさん」である時間が増え、
私の「中の人」の時間、自意識は減っていき、
次第に「イロさん」でいる時間だけになった。
「イロさん」はたくさんの人に愛していただけて、
相方の直帰と一緒にツイキャスでラジオをやることにして
もっともっと多くの方に愛していただけた。
イロさんを深く知ったのはイロ直帰ラジオですという方が今でもとても多い。
本当に直帰とリスナーさんには頭があがらない。
本当にありがたい。
こんな世界線が私にあるなんて、ということもたくさん起きるようになった。
「いつも見ています」「いつも力をもらっています」
「ファンです」と言っていただけたり、
私のカウンセリング、コーチングを受けていただいたり、
講座を受けていただいた。
正直、どこのコミュニティに行っても成果を出すまでは頑張るし、
他人にどう思われるかがある意味どうでもいいので尖ることができ、
どこのコミュニティでも一目置かれる存在になることはできた。
他人との距離感を保ち、お互いのテリトリーを重んじ、
やることをやった後に言いたいことを言う私は本当にSNS向きだったと思う。
ただ、生身の人間同士のやり取りが増えてくると
「集団に属せない」性質が出てくる。
一方通行であれば真価を発揮する私の性質は、
逆に意見されると全て「そうなのかも」と受け入れて自分の方向を見失う。
自分の意見だけでいけいけどんどんな時は私は無敵だ。
でも、人の意見をちらりとでも目にすると急に自信がなくなる。失速する。
小田桐あさぎさんのコミュニティにいたり、
自分でオンラインサロン、マインド講座を主宰し始めてからはそれがものすごく多かった。
山ほど溢れる「こうした方がいいんじゃないか」
「イロさんはこれが向いている、こういう見せ方がいい、こういう売り方がいい」
「こういう関わり方で、講師らしく、コミュニティリーダーらしく、
私がみんなを愛して、愛し方をわかりやすく示して、結果を出してもらわなきゃ」
「私と関わって良かったと思ってもらわなきゃ」
「そのためには先人のやっていることを徹底的に学んでうちの講座生たちにもらさず伝えなければ」
そう、私は色んな世界線を飛び回って、色んな人と関わっていくうちに忘れていた。
自分がコミュ障なことを。
「イロさん」の中の「中の人」が顔を出して、
「イロさん落ち着きな、あんたが愛されてきたの実はイロさんの部分じゃなくて中の人の部分だったことをいい加減認めな」と突きつけてきた。
えーーーーーーーーーーーーーー???!!!!!マジで??????私ここまでやってきたのに?????
そりゃそうだよあなたは私だもん。
他人の気持ちがわからない。
だからこそ自分の考えで突き進める。
他人に深く入り込まない。だから居心地のいい距離感を保てる。
これが生まれ持った性質であり、私の光なのに。
だから私は最初から私だったところに還ってきなさい。
脳内エヴァンゲリオンである。
私の愛は多分、人にとても伝わりづらい。
「そのままでいいんだよ、愛しているよ」と言っても、
それが本心だと思ってもらうのがとても難しい。
なんで難しいのかは私もよくわからない。
やってるじゃん!!とすら思う(笑)
あなたたちが普通にやっていることがこのコミュ障にはめっちゃ難しいんですけどーーーーーーー!!!!!!
私は私が提示している以上のことをできるほど器用じゃないんですけどーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
というかそんな私が好きなんじゃないのーーーーーーーーーー????!!!!!
えーーーーーーどうしよう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
でもでもなんだかわかんないけど私のことを好きになってくれているのはめっちゃありがとうめっちゃ好き〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!
うわでも好きそうに見えないの困ったねえええええええええええええええええええ
という原点回帰である(笑)
なんか書きながら気づいたけど「好きだけどベタベタしないのが私だから」、
の一文で終わる気がしてきた。
伝わるか?伝わるかなあ。
脳内エヴァンゲリオン出てくるくらいに、私は愛情表現が苦手なんだよ。
愛を受け取るのもめちゃくちゃおっかなびっくりしてしまうんだ。
一方通行ならいいんだ。双方向になった瞬間しょぼんってなるんだ。
私ってそんな人間。
それを知ってもらいたい。
そんな原点回帰でした。
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